ヨブ記11章 「み心を知ること」

全能者の極みを見出せるだろうか。」ヨブ記11:7

くぅ~ママのちょっと一言
3人の友の中で一番年齢が若いツォファルの言葉です。他の2人と同様、ヨブに罪を認3人の友の中で一番年齢が若いツォファルの言葉です。他の2人と同様、ヨブが罪を認めて幸せな人生を取り戻すように言います。エリファズは経験を基に、ビルダドは伝統を基に、ツォファルは知恵を基にヨブに非を認めさそうとしています。3人は確かに正しいことを言っていますが、ヨブの痛みを自分のものとする愛に欠けているのです。伝道者パウロはコリントの信徒への手紙にこうしたためました。「たとえ、人々の異言、天使達の異言を語ろうとも、愛がなければ、私たちは騒がしいどら、やかましいシンバル。…」(Ⅰコリント13:1)と 苦しんでいる人に対して言葉は必要ないのです。ただ「あなたの苦しみを理解させてほしい」とそばにいるだけでいいのだと思います。かつて私は人生で一番苦しかった時に、クリスチャンの友に「あなたの存在が罪だ」と言われたことがあります。確かに人間は罪人であり、その言葉はまちがっていません。しかし当時の私はその言葉に大変傷ついたことを思い出します。

聖書要約
友人ツォファルが口を開きました。
「これだけまくしたてられたら、一言言いたくもなる。言葉が多ければ潔白なんてものではない。神があなたの本当の姿を知らせて下さったらいいのに。神はあなたの罰を減らしておられるはずだ。あなたは神のみ心を知ることが出来ると思うか。神は天が地より高いように、想像もできないほど清い方だ。それに比べて人間の知恵は浅はかだ。神は私たちの小さな罪をもご存知なのだ。だから祈るときは自分の罪を取り除き、一切のを遠ざけないといけない。そうすれば胸を張って神に近づける。そうすることで過去の悲惨な境遇を忘れることができ、人生が真昼のように明るくなる。希望と安心があたえられ、多くの人が好意を求める。しかし神に逆らう者は逃げ場を失い、死が待つだけだ。