ヨブ記34章 見ておられる神

「神は人の歩む道に目を注ぎ、その一歩神の御目が人の道の上にあり、その歩みのすべてを神が見ておられるからだ。」ヨブ記34:21

くぅ~ママのちょっと一言
3人に話しかけていたエリフですが、次第にヨブへの攻撃を強めていきます。エリフはヨブに罪を認めて神に懺悔することを勧めていますが、それはヨブに限らず自分自身も然りであり、私たちも同じなのです。私たちは「私の知らない所でもし罪を犯していたなら、主よ、どうぞお赦し下さい。」と祈ります。そのような罪も含めて、罪を犯さない人は一人もいないのです。だからこそキリストイエスの十字架の贖いの死を信じることによってそれらの罪が赦されている事が如何に幸いなことかと思います。

聖書要約
エリフが続けて語ります。
「知恵ある人は私の言葉を聞いていただきたい。私たちは何が正しいことなのか判断しなければならない。ヨブは「自分は潔白なのに神から罰を受けている」と言い、また神に逆らう者と親しくして、「神に喜ばれることをしても何の利益もない」と言っている。さて皆さん全能の神に過ちなどあるだろうか。神はおのおのの歩みに従って報いをお与えになる。神が罪を犯す事は決してない。ただ神だけが地上を支配する権威を持ち、正義を持って全世界を治める。神が正義を憎んだら支配者としての資格があるだろうか。神はどんな人も公平に見られる。神が人をお造りになったからだ。人はあっという間に死ぬ。身分の高い人も低い人も…神は何もかもご存知で、国を滅亡から救うことも、また滅亡させることもおできになる。
そのような偉大な神に人はなぜ「私は罪を犯しました。もういたしません」「私がどんな悪いことをしたのかわからないので教えてください。悔い改めますから」と言わないのだろう。ヨブの言葉は思慮にかけている。それに神を悪く言ったのだからそれだけでも厳罰を受けて当然だ。

前の記事

ヨブ記33章 魂の救い

次の記事

ヨブ記35章 神を待つ