詩編11編 避け所

に私は身を避ける。」詩篇11:1

くぅ~ママのちょっと一言
神の救いに虚無感を感じて「身の安全のために山に逃れよ」という者たちに対して詩人は「主は聖なる都におられ、我々を見ておられる」ときっぱりと言い切ります。
この世は不法がまかり通り、悪がはびこっています。この世は悪なる力に支配されています。しかしこんな世の中だらこそ神を避けどころとするクリスチャンの存在が大切なのです。日本のクリスチャンは日本の人口のわずか1%だそうです。そんな私たちに何が出来るのかと思いますが、私たちが何かをなすのではなく、神を見上げる私たちを通して神が働いてくださいます。神の力は偉大です。士師記6章で神は戦いを前に兵士の数を減らされました。数は問題ではありません。勇気を持って神の民としてこの地球上で悲しみの涙を流している人たちの為に立ち続けたいと思います。

聖書要約
ダビデの歌
どうして神に信頼していながら「身の安全のために山に逃げよ」と言うのでしょうか。確かに神に逆らう者たちは神を信じる者たちに矢を射ようと待ち構えています。「世の中の秩序がなくなってしまった今、正しい者は逃げるしかない」と人々は言います。
しかし神は依然として聖なる都におられ、天から何もかも見ておられます。神に従う者と、神に逆らう者をきちんと見ておられるのです。神は神に逆らう者を裁かれます。
神は正しく正義を愛されます。神に従う者は神のみ顔を仰ぎ見るでしょう。

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