詩編42編 神はどこに

「私に敵対する者たちは 私のを砕くほどに 私をそしり 絶えず私に言っています。 「おまえの神はどこにいるのか」と。」詩篇42:10

くぅ~ママのちょっと一言
42編から第2詩篇に入ります。ここでは神を表すのに「エロヒーム」が使われているのでエロヒーム詩篇と呼ばれているそうです。そしてその最初の42編から49編はコラ詩篇と呼ばれ、神殿の詠唱を司ったコラの詩となっています。
この歌はイスラエルの民がバビロン捕囚を強いられた時に歌われたものとされています。
神を慕い求める詩人は過去において神がして下さった恵や、今も変わらず愛を注いでくださる神を思い起こして、どれほど辛い状況にあっても「主こそわが救い」と告白するに至っているのです。
「お前の神はどこにいる」と言われることは信仰者にとってどれほど辛い事でしょう。「神を信じているだけで、3度の食事に困らないのであればいいけどね」そんな言葉を言われると心が苦しくなります。私に与えられたことには精一杯取り組みます。しかし私の人生の最終責任を取ってくださるのは神様です。その神に感謝して生きていくことほど力強い生き方はないのではないかと思います。これは信仰の力です。その信仰をだれも笑う事はできないと思います。

聖書要約
ああ主よ。鹿が水をあえぎ求めるように、私もあなたを慕い求めます。どこに行けばあなたに出会うことができるのでしょうか。私は昼も夜も涙を流しながらあなたの助けを祈っています。傍らでは人々が「おまえの神はどこにいる」とあざけるのです。
私は自分の魂に元気を出すように言います。そして多くの人々の先頭に立って喜び満たされて神殿に入り礼拝したことを思い出すのです。
どうしてそんなに沈み込む必要があるでしょうか。神を待ち望みます。私をお救い下さるのは主なる神ですから。私が意気消沈してうな垂れるような思いになっても、私は神を思い起こします。その思いはヨルダンからヘルモン山、ミザルの山のそびえるこの美しい地に注がれている神の恵へと移ります。私はあふれるばかりの神の恵を感じ、昼は神の愛に守られ、夜には讃美が与えられていることを思い、私の命はあなたに祈りを捧げずにはおれないのです。
私は叫びます「ああ、主よ、なぜあなたはお見捨てになったのですか、この私を。なぜ敵の手に追われて苦しまなければならないのですか」と。人のあざけりは私に致命傷を与えるようです。そして人は言います。「お前の神はどこにいる」と。私の魂よ。気落ちするな。主に信頼せよ。そして「主こそ私の救い」と告白しよう。

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