イザヤ書9章 来臨の預言


「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。」イザヤ書9:6

くぅのちょっと一言
前半はまだ起こっていないことを過去形で表現されています。それはアッシリアの圧迫下で苦しむことと、やがて栄光に輝くキリストが来臨されることが預言されているのです。
後半は北イスラエルへの裁きです。アッシリアを裁かれる神はご自分の民も公平に厳しく裁かれます。しかしイスラエルは自分の力を頼みとして神を信じないのです。主にゆだねることが如何に大切なことかと思います。自分の力でなんでもできると思うこと自体が傲慢な生き方です。朝を迎えられたことを主に感謝、一日を無事終えられたことを主に感謝しながら生きていきたいと思います。

聖書要約
闇を歩いていた人は大いなる光を見ます。死の陰を歩いていた人の上に輝く光です。イスラエルはもう一度大いなる民族となり、刈り入れの祝い、戦利品の分配の時のように喜びます。士師ギデオンが神の力を頂いてミディアン人を打ったときのように、懲らしめの鞭であるアッシリアを神は打たれ、平和が訪れるのです。私たちのために一人の男の子が与えられます。その手にすべての主権が握られています。その方は「驚くべき指導者」「力ある神」「永遠の父」「平和の君」と呼ばれます。彼はダビデの王座につき、真の平和を今も永久までもたらします。万軍の主の熱意がこれをなされるのです。
北イスラエルの審判
主は北イスラエルに対して審判を下されます。民はそれを知りながらも悔い改めることなく、以前より立派な国を立ててみせるとうそぶきます。神はそれに対して怒りを発せられ、東から西からイスラエルに攻撃させられたのです。しかし主の怒りは治まらず、御手は伸ばされたままです。しかし民は神に立ち返ることをしなかったので、主は絶った一日でイスラエルの指導者や偽預言者を打たれたのです。また神を無視し、悪を行う若い男や未亡人やみなしごにさえ主は憐れみをかけられませんでした。しかし主の怒りは治まらず、御手は伸ばされたままです。主の怒りの火は森林を焼き尽くし、地を焼き尽くされたのです。
彼らは兄弟げんかまでして、食べ物を奪い合い、ついにわが子まで食べるようになります。仲の悪かったエフライムとマナセもこの時ばかりは結託してユダを襲いました。しかし主の怒りは治まらず、御手は伸ばされたままです。