イザヤ書17章 都の面影を失う


「見よ。ダマスコは取り去られて都でなくなり、瓦礫の山となる。」イザヤ書17:1

くぅ~ママのちょっと一言
ダマスコとエフライム(北イスラエル)は反アッシリアの同盟国で神に裁かれます。ダマスコは壊滅しますが、神の民であるエフライムは残されるものがいます。アッシリアに攻められた理由が書かれています。「神を忘れたから」と。この預言はダマスコが繁栄をきわめていた時に告げらます。きっと当時の人たちは信じることが出来なかったことでしょう。クリスチャンも現実がどうであれ、神にみ心に沿って、してはいけないこと、しなければいけないことを語る役割があるのだと思います。

聖書要約
ダマスコとエフライムの運命
ダマスコについての神のお言葉です。「ダマスコは影も形もなくなる。都はがれきの山となりアロエルの町も人が住まず、イスラエルの栄光が去ったようにダマスコもすべて消えうせる。」イスラエルも同様レファイムの谷にある刈り入れを終えた畑のように見捨てられます。収穫の後、わずかに残っているオリーブの実のように極わずかな人が残されるだけです。その時になって始めてイスラエの残された人々は偶像を拝むことを止め、創造者である神を信じるようになります。
その日には彼らの町々はかつてイスラエル人が破壊した町々のように荒れ果てるのです。救い主である神を忘れた報いです。
もし植えてすぐに成長するような収穫物でさえもあなたの手で刈り取ることはできません。あなたが刈り入れるのは山のように大きな悲しみと痛みだけです。
諸国民のどよめき
諸国の民が怒涛のように押し寄せてきても心配いりません。神が沈黙させてくださいます。イスラエルの民は夕方に恐怖に包まれても、夜明けには神が敵を打ってくださいます。神の民を打つ者に神がされることです。