イザヤ書25章 この方こそ
「見よ。この方こそ、待ち望んでいた私たちの神。私たちを救ってくださる。」イザヤ書25:9
くぅ~ママのちょっと一言
25章は3つに区切られます。1つ目は神の恵みに対する感謝。2つ目は世界を解放される神の勝利を祝う祭典の告知。3つ目は救い出された民の喜びです。そして最後にモアブの滅びについて言及しています。
神は神を認めず、自分中心に生きている者を裁かれますが、神の民を忘れれることはありません。イザヤがこの預言をしたのはアッシリアの勢力がイスラエルにも迫りつつある時で、神の民として生きることが唯一助かる道であることを民に告げています。イザヤの預言は現代の私たちにも通じることです。神の民として生きることはこの世の中ではバカげたことと見る人がいるかもしれません。だからこそイザヤの言葉は私たちへの言葉として聞きたいと思います。
聖書要約
神の驚くべき審判
主よ、私はあなたを崇め、御名を称えます。あなたは私の神であられ、こんなに素晴らしことをなさるからです。強い国、難攻不落の要塞廃墟とされます。強い民、冷酷な国でもあなたを畏れ、服従します。
しかしあなたは弱い者にとっては、隠れ家、木陰、避け所です。あなたは暴虐な者たちがわがもの顔にふるまうのを赦されません。
万軍の主はエルサレムのシオンの山で世界の人々のために大宴会を催されます。とっておきの上等の食卓を用意し、神を信じる人々を招き、涙をぬぐい、屈辱を永遠に取り去ってくださいます。これが神が語られたことです。
その日には人々は「この方こそ私たちが待ち続けた神。私たちの救い主。さあ、喜び踊ろう」と言うでしょう。神の恵みのみ手はエルサレムにとどまります
モアブの滅亡
しかし、モアブはみ足の下で踏みにじられます。泳いでいる人が水をかくようにモアブは必至で手を伸ばしますが、神は抑えつけ、彼らの思い上がりと、悪にとどめを刺されます。モアブの高い城壁は崩れ落ちます。