イザヤ書26章 裁きが行われるとき


「あなたの裁きが地で行われるとき、世界に住む人々は正しさを学ぶでしょまことに、あなたのさばきが地に行われるとき、世界の住民は義を学びます。」イザヤ書26:9

くぅ~ママのちょっと一言
神に敵対する者を神が裁かれる「その日」は神の主権が明らかにされる時です。そして神に信頼する者が高く上げられ平和と喜び、祝福が与えられます。悪なる力が支配している世の中から神がこの世をご支配される「その日」が来ます。「その日」に希望を見いだして、神に信頼して生きることが勧められています。神に信頼して生きる者には何の心配もいらないのです。もし困難を目の前にしても、それを乗り切るが力神から頂けるのですから。

聖書要約
その日、ユダの国ではこのような歌が歌われます。「私たちの町はびくともしない。神の救いの城壁で守られているから。神を信じる者が入れるように城門を開きなさい。いつも神を思っている人を神は何の心配もないように守り、平和を与えてくださる。神は思い上がった人々を引き下ろし、貧しい者の足の下に置かれます。」
復活を求める祈り
神に従う者の道は神に守られています。私たちは神さまに喜ばれることをします。夜通しでもあなたを捜し求め、御名を称えます。あなたがこの地を裁かれる時、民は正しことを学びます。しかし神に逆らう者は神からの恵みを受けても、神を認めようとせず、悪を行います。神が降り上げられたこぶしを見ようともしません。彼らに神がイスラエルの民をどれほど愛しておられるかを示してください。そして敵のために用意された炎で彼らを焼き尽くしてくださるように。
主よ、私たちに平和を与えてください。今私があるのはあなたの憐れみです。以前、私たちは多くの王に仕えてきましたが、今はただあなただけを礼拝します。それらの王はあなたが滅ぼしてくださいました。そして神の民を増やし、国境を広げてくださいました。
主よ、私たちは苦難が襲ってくると、あなたに助けを求めます。あなたの罰を受けた時には、消え入るような声で祈ります。神から遠ざかった私たちは苦しみ、もだえ、救われることはありません。しかし神に従う者を神は生き返らせてくださいます。塵の中に住んでいても目を覚まし、喜びの声を上げます。主の命の光が露のように降り注ぐからです。
主の審判
神の民は家に入り戸締りをしっかりしなさい。敵に対する神の怒りが通り過ぎるまで。神は地に住む者を罰するために来られます。大地は人殺しを明らかにし、一人一人の罪状が明らかにされます。