イザヤ書27章 その日、主は


「その日、は、鋭い大きな強い剣で、逃げ惑う蛇レビヤタンを、曲がりくねる蛇レビヤタンを罰し、海にいる竜を殺される。」イザヤ書27:1

くぅ~ママのちょっと一言
27章でイザヤの黙示が終わります。その日には、サタンであるレビヤタンを神が打ちのめされます。そして最後は神の民が集められ、エルサレムで礼拝を捧げることが歌われています。
ブドウの歌は神が如何に神の民を愛されているかが歌われています。実をつけなければ切り倒せと仰せになる神の本心は、悔い改めて私の守りの中で暮らしなさいということなのです。その神の愛を思うと、実をいっぱいつけるクリスチャンでありたいと思います。そして世界が愛の実でいっぱいになればいいなと思います。

聖書要約
その日神は、海の竜であるレビヤタンを殺します。
主のぶどう畑
その日はイスラエルの解放の日。国民が賛美を歌います「イスラエルは神である私の見事なぶどう畑。私はその番人。常に水を注いで手入れをし、昼も夜も敵から守るために見張る。イスラエルの怒りはもう治まった。もしイスラエルに戦いを挑む者があれば神である私が焼き尽くす。私と和解する者は守られる。イスラエルは時がくれば根を張り、蕾をつけ花を咲かせ、世界を実でいっぱいにする。
神がイスラエルを打ったのは、神に反逆した者に対してしたのと同じではない。ほんの少し遠く離れたところに追いやられたにすぎません。
なぜ神はそのようにされたのでしょうか。それはイスラエルの偶像が取り除かれ、民が神に立ち返るためです。
都の破滅
城壁で囲まれた都はひっそりとし、家は荒れ放題、荒野となる。私の民は枯れ枝のように折られ、たきぎとなります。民は理解力が劣ってしまっているのですが、それは神に背いているからです。だから神も彼らに憐れみをかけられません。
イスラエルの回復
その日が来るとユーフラテス川からエジプトまで神は穂を打つように打たれる。そして穀物を一つひとつ拾い集めるように神の民を集められる。アッシリアやエジプトに追いやられた者も救い出され、神を礼拝するためにエルサレムに連れ戻されます。