イザヤ書32章 神の霊が注がれる
「しかし、ついに、いと高き所から私たちに霊が注がれ、…」イザヤ書32:15
助産師永原のちょっと一言
神を認めず、反逆の道を生きるのか、神に従って救いの道を生きるのかとイザヤは警告を与えつつも、神は救いの道を用意してくださっているという希望のメッセージを語っています。正義の王はイエスキリストを指しています。はっきりと救いが示されている新約の時代に生きることができてなんと幸いなことかと思います。心の曇りを取り除き、神の救いをに焦点を合わせて物事を見、み心に耳を傾けたいと思います。
聖書要約
正しい王の支配
正義の王が、公平を持ってイスラエルと統治する時がやってきます。その王は風や嵐からイスラエルを守り、砂漠の中のオアシスのようにされます。イスラエルの人々ははっきりと神に向かって目が開かれ、み声に耳を傾けます。口ごもる者もはっきりと語るようになります。
神を敬わない愚かな人は人の誉れを受けません。人をだます者は立派な人とは呼ばれず、悪人、うそつきもすぐに見破られます。しかし正しい人は神に祝福を受けます。
憂いなき女たち
安心しきって何もせずにぶらぶらしている女性は私の言うことをよく聞きなさい。後1年もすれば大変なことになります。収穫期になっても作物が取れないのです。その時のために備えなさい。宮殿は荒れ果て、町のにぎわいは失せ、見張りの塔があった山の上では野ロバが草を食べるのです。
神の霊の働き
しかしやがて主の霊が天から注がれ、荒れ野は園のようになります。その時正義が民を支配し、正義は平和を生み出します。静けさと信頼が支配します。私の民は守られますが、アッシリアは破壊されます。神の民は守られ、豊かな祝福を受けます。蒔いた種は見事な収穫を得、家畜は青草を食べます。何と幸いなことでしょう。