イザヤ書40章 主の言葉はとこしえに


「草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」イザヤ書40:8

くぅ~ママのちょっと一言
40章から55章は第2イザヤと呼ばれ、バビロン捕囚末期において解放が近いことを告げ知らせています。それは単にバビロンからの解放だけではなく、終末的なメシア来臨の回復の預言でもあります。

私たちの本当に幸せな生き方は人間が持っている罪からの解放です。罪とは虚栄心、傲慢、嫉妬、自己否定、自己中心などですが、それらの罪を赦して頂き、神との関係を回復することです。そのように神を待ち望む者は新たな力を得、鷲のように翼を張ってのぼる。走っても弱ることなく、歩いても疲れないのです。

聖書要約
帰還の約束
「私の国民を慰めよ」と神は言われます。「エルサレムに優しく語りかけよ」と。悲しみの日は過ぎ去り、罪は赦され、刑罰の2倍の祝福が与えられるのです。
呼びかける声に耳を澄ませなさい。荒野を来られる神のために、平らで広く、でこぼこのない、まっすぐな道を作りなさい。神の素晴らしさを人々は見ると神は宣言されます。
呼びかけなさい。「肉なる者は皆、草のようなものです。草は枯れ、花はしぼむが、わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ」と。
高い山に登ってよい知らせをエルサレムに向かって伝えなさい。「神は来られる」と。全能の力を持って来られる神は、羊の群れのような私たちを優しく世話をしてくださる方です。
創造と贖いの神
神以外に、だれが海の水を手ですくい、天の大きさを巻き尺で測る者がいるでしょうか。神に助言できるものなどいません。人間は神の目から見ると無に等しいちっぽけな者です。レバノンの木をすべて集めても、神へのいけにえを捧げるには足りませんし、獣を一匹残らず集めても神に捧げるいけにえにするには到底数が足りません。すべての国は神の目から見れば無に等しいのです。
神に似せて像を作ったとしてもそれはただの像にすぎません。
世界が作られる前からあった神の言葉を理解できないのですか。神は地球のはるか上におられ、下界の私たちなどはイナゴのようです。神は天をカーテンのように引いてご自分の住まいとされます。名のある諸侯といえども神にとればいてもいなくても同じこと。我々の仕事にしても、嵐が吹けばわらのように巻き上げられる。
あなたたちは私と肩を並べることが出来る者がいるというのか。
ヤコブよ、イスラエルよ、神が我々の苦しみをご覧になっていないとなぜ言えるのでしょうか。永遠の神は決して疲れたり、ふらついたりされません。神の知恵を推し量ることが出来る人はいません。神は疲れた者に力を与えます。神に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。走っても弱ることなく、歩いても疲れないのです。