イザヤ書45章 粘土と陶工


「陶器は土の器の一つにすぎないのに、粘土が自分を形造る者に言うだろうか。「何を作るのか」とか「あなたが作った物には手がついていない」と。」イザヤ書45:9

くぅ~ママのちょっと一言
神はキュロスに油を注がれました。異教徒のキュロス王をも神は用いられます。それはまずキュロス王自身が主なる神を認めるようになるため、そして人々がそのことを知るようになるため、また神を信じなかった者も神を信じるようになるため、そして主の民が救われるようになるためでした。神が言われことは必ずそうなるという神の真実を信じることが信仰であり、私たちの希望だと思います。

聖書要約
神によって油注がれたキュロス王への主なる神からのお告げです。神が彼を強くされるので、国々は武装を解き、彼に従います。神が彼の前でバビロンの城門を開かれると二度と閉ざされることはありません。
「私があなたの道を平らにする。青銅の扉を破り、暗闇に隠された宝、富をあなたに与える。あなたがイスラエルの神である私が神であることを知るためです。私が主、私をおいて神はない。そのことを人々が知るようになる。光と闇を造り、平和と災いを創造するのはこの私であることを。天の窓を開いて正義を降らせる。救いと正義が地から芽をでるように地に与えるのは主である私である。
創造主である神に議論を吹っ掛ける者はひどい目にあいます。粘土が陶工に文句を言うでしょうか。子が親になぜ産んだんだと言うのは間違いです。イスラエルの神、創造主なる神がなされることになぜ文句を言うのでしょう。天地を造り、人を造った主はキュロスを用いて捕虜になった私の民を解放するのである。
諸国民の受ける恥
神はキュロスにこうお語りになります。エジプト人エチオピア人、セパ人があなたに貢ぎ物をもってやってきて、あなたに従います。そしてひれ伏して「あなたの神こそ本物の神です」と言うでしょう。偶像を拝む者は裏切られます。しかしイスラエルの民は神から永遠の救いを頂きます。神は世界を混とんとして創造されたのではなく、人々が暮らせる場所として創造されました。神は真実と正しいことだけを語られる方です。
キュロスから逃げてきた者、偶像に救いを求める者たちは私が主であり、このことを昔から預言していた主なる神を信じなさい。私は神、他にいません。すべての民が私を信じ、私の元にひれ伏すでしょう。必ずそうなります。そしてイスラエルの子孫は神に正しい者と認められるようになるでしょう。