イザヤ書59章 主の手が短かろうか


「見よ。の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。」イザヤ書59:1

くぅ~マのちょっと一言
真の平和が与えられないのは人間側の罪のためであることが書かれています。どれほど人間の罪が深く、どれほど多くの罪があるのかが列挙されています。しかし神はその人間を救おうと立ち上がってくださり、私たちと離れることない神の霊と言葉を与えてくださると約束してくださいます。それはまさしくメシアであるイエスキリストの来臨預言です。私たちの罪が増すところに主の恵みも増し加わるのです。なんと有り、難い、ことでしょう。その恵みを素直に感謝して受け取ることが信仰です。しかしそれが出来ないところに人間の罪の深さがあるのです。

聖書要約
救いを妨げるもの
神は力不足のためにあなた方を救えないのではありません。あなたがたの罪が神とあなた方の間に隔てを作ってしまっているのです。あなたたちの罪は残虐、うそ、不正、無秩序、暴力、悪行、破壊で、やることなすこと罪にまみれ、罪を犯すことしか考えていません。
これほど悪に染まっていれば神の祝福を見いだすことなど出来るはずがありません。光を望みながらも、暗がりを歩いているのでつまずいても当然です。まるで死人のような姿、飢えた熊のようです。鳩のように悲しげな泣き声を出します。あなたの前に積み上げられた罪があなたに不利な証言をするので、神は横を向いてしまわれたのです。私たちは自分の罪がどれほど深いか知っています。真実も正義も通らないのです。
神は正義が行われていないことを見られました。それを助ける者も一人もいないことに驚かれました。そこで神はあなた方を救おうと立ち上がられたのです。神は正義のよろいをまとい、救いのかぶとをかぶり、報復を衣としてまとい、熱情を上着とされ、刃向かう者に怒りを発せられたのです。こうなって初めて人々は神を敬うようになります。しかし約束の民エルサレムの住民には救いを与えてくださいます。これが神の約束だと言われます。そして今もとこしえに神は離れることはないと言われます。