イザヤ書62章 捨てられることはない


「 彼らは、聖なる民、に贖われた者と呼ばれ、あなたは、追い求められる者、見捨てられることのないと呼ばれる。」イザヤ書62:12

くぅ~マのちょっと一言

バビロン捕囚を預言しながら、さらにそこから救いのプロジェクトが用意されていることを確信し、そのことを城壁に見張りを置いて神に祈り続けるとイザヤは言います。人生には色々なことがあるけど、クリスチャンの人生の最後は逆転ホームラン。涙をぬぐいながらホームベースを踏んだ後、神さまの温かい胸に飛び込むことができます。神が守ってくださる人生なのだから、神を賛美し、神の庭で感謝を捧げながら、山あり谷ありの人生を前向きに生きていきたいと思います。

聖書要約
シオンの救い
私(イザヤ)はシオン、エルサレムが正義をまとって光輝き、神の救いが燃え上がるまで祈り続けます。やがて諸国の民はあなたが正しいことを知るようになり、あなたの栄光を仰ぐようになります。あなたは神の手の中にある王冠のように輝き、そして主から新しい名前で呼ばれるようになります。二度と「捨てられた女」と呼ばれることはなく、望まれる者、神が喜ばれる者、花嫁と呼ばれるようになるのです。
私はエルサレムの城壁に見張りを置きます。神に覚えられ、救われることを祈り続けるために。神はエルサレムに真心をこめて誓われました。「再びあなた方の穀物を敵のものとはしない、あなたが労して作った酒を他の国の人が飲むことはない」と。あなたたちは刈りいれたものを食べて神を賛美し、ぶどう酒を神の庭で飲むがいいと。
民が帰ってくる道を整えよ。旗を高く上げよ。主なる神が主の民を救われる。彼らは聖なる民、捨てられることのない都と呼ばれるようになります。