イザヤ書63章 大いなる救い
「わたしは正義をもって語り、救いをもたらす大いなる者。」イザヤ書63:1
助産師永原のちょっと一言
私たちのために戦って下さり、着物を真っ赤に染めて勢いづいて私たちの元に来てくださる主の姿が描かれています。しかし、バビロンに連行された民は「主よ、どこにおられるのか」と問いかけ、燃えるような主の愛をもう一度私たちに向けてくださいと祈っているのです。しかしどんな時でも主は熱情をもって救いの手を伸ばしてくださっていることを忘れないようにしたいと思うのです。
聖書要約主の報復
赤い衣をまとい、威光に輝き勢いづいてエドムの首都ポツラから来るのは誰ですか。それはイスラエルの民に救いを知らせるために来られる神です。「なぜ着物が真っ赤なのですか」と尋ねると主はこうお答えになりました。「あなた方の敵をぶどう酒を踏むように滅ぼしたのです。あなた方を助ける日が来たの言うのに誰一人私を助ける者はいなかったので、私一人で戦ったのです。」と。執り成しと嘆き
私は神さまの恵みを人々に知らせます。神さまは救い主となってくださいました。そして民を私のものと言って下さいます。
その時民は思い起こしました。かつて主がモーセをお立て下さり、民をエジプトから導きだしてくださったことを。海を真っ二つに分けてくださったことを。
しかしそのようにしてくださった主は今どこにおられるのですか。民を安全な場所に導きだしてくださった主の御名は輝き知れ渡ったというのに。
どうか天の輝く宮から私たちを見てください。あなたの燃えるような愛を示してください。たとえアブラハムとヤコブがあなたたちは私の子孫ではないと勘当したとしても、神は私たちの父であり、救い主です。私たちの心をかたくなにされたのも主です。どうか私たちをお助け下さい。敵が私たちの都を破壊してしまったのです。どうして見捨てられた民のように私たちを扱われるのですか。