イザヤ書65章 答えてくださる主


「彼らが呼ばないうちに、わたしは答え、彼らがまだ語っているうちに、わたしは聞く。」イザヤ書65:24

くぅ~マのちょっと一言
悪は裁かれ、神を呼び求める者には希望が与えられます。それは終末の新天新地の到来であり、永遠の祝福です。それは1節でイスラエル人以外に語りかけられているように、神を畏れるすべての人に対して与えられるものなのです。そして地球の平和を作りだすのは人間の努力ではなく、神を見上げ、従うことによって神から与えられるものとのこと。からまって解くこともできないような人間関係が神を見上げることで、もつれが自然に解かれていくようなイメージなのではないかと思います。

聖書要約
神は告げられます。「私のことを知らなかった者が私を捜し出し、私を見いだす。ところがイスラエルの民は私が両手を広げて招き続けているのに、逆らい続けている、偶像を礼拝し、墓場や洞窟で悪霊を拝み、禁じている者を食べる。そして神より自分たちは清いと言う。私はそのような者たちに必ず報復する。あなたたちの先祖も同じ罪を犯してきた。その分まで裁く。」と。さらに神は言われます。「ブドウの房にはよいぶどうも混ざっているように、あなた方の中にいるよい人は滅ぼすことはしない。その残りのよい人たちにはイスラエルの地を与えます。シャロンの平野は羊が群がり、苦悩と呼ばれたアコルの谷は家畜の群れが草を食べる所になり、私を尋ね求める者は私の民となります。
しかしそれ以外の私を捨てて、他の神々を拝んだものは皆倒される。飢え、乾き、恥を受け、心の痛みに叫び声を上げる。その者たちは呪いの代名詞となる。しかし私に従う者は真実な神によって祝福されます。私はあなたちの罪をすべて忘れ、新しい天地を創造する。古い天地を思い出すこともなくなる。エルサレムを幸福の都として想像する。そこで泣く者もなく、若死にする者もない、皆幸せに生きながらえるのです。自分の建てた家に他の者が侵略することもなく、作物を他の者に食べられることもない。彼らが呼ばない先から私は答える。祈る前から先回りして備える。ライオンも牛のように穏やかで、蛇も人に噛みつくことはない。傷つく者は一人もなく、壊れるものもない」神はそのように断言されます。