エレミヤ書9章 捨てられた民


「…私のを置いて、彼らから離れることができようものを。」エレミヤ書9:2

助産師永原のちょっと一言
すでに滅ぼされているかのように書かれていますが、これは将来の事をすでに起こったかのように表現されており、預言過去と言われる語りとなっています。エレミヤはそのことを預言され、心の底から嘆くのです。
罪は万人の心に潜んでいます。幼い子どもも、悪いことをしたと思って隠そうとするし嘘もつきます。大人だって虚栄心があり、嘘をついてしまいます。心に居座るこのような罪とどう向き合うかが人としてどう生きていくかの鍵だと思います。「罪が増す所に、主の恵みもいや増し加わらん」罪を雪のように白くしてくださる主にお委ねするしか方法はないと思うのです。

聖書要約
グッドユダの堕落
どこか遠くの荒野の小屋に住めたらどんなにいいだろう。イスラエルの民は神を裏切った。主は言われる。「彼らは舌を弓のように曲げて不真実の矢を射り、悪を働く」と。人を信じてはいけません。互いにだまし合い、押しのけ会い、神を知ることを拒みます。
だから主はイスラエルの民を火でもって試すと言われます。彼らは口先ではお上手を言いながら人をだますのです。主は彼らの悪に対して必ず報いると言われます。
私(エレミヤ)は泣きながら荒れ果てた地、荒廃したユダの町々を見渡します。知恵ある者はなぜ子の血が滅びたのかを悟りなさい。
主は言われます。「それは彼らに与えた教えを守らなかったからだ。主に背いた民に対して、苦よもぎと毒水を与え、剣で滅ぼし尽くす」と。
また主は「万軍の主は泣き女を来させよ。我々のために嘆きの歌を歌わせるために。エルサレムの町に死が入り込み、幼子から若者まで滅ぼす。死体があちらこちらに散らされたままになる。」と言われます。
知恵ある者は知恵でもなく、力や富でもなく、ただ主を知ることを誇りなさい。主は正義を行われ、私たちを変らず愛してくださることを誇りなさい。
割礼のある者も、ない者も罰せられる時が来た。割礼を受けていても心に割礼のない者も罰せられると主は言われます。