エレミヤ書10章 神の御手の中に


「人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」エレミヤ書10:23

くぅ~ママのちょっと一言
いよいよ神の裁きの時が迫ってきたという緊迫を感じる所です。またまことの神と偶像の神について書かれています。人を造られた神と、人が作った神という決定的な違いが示されています。

今年私は67歳になります。一日一章の聖書通読も10回目の半ばとなりますが、聖書を読むたびに感動します。聖書を開けば、そこから希望が広がっていきます。天地を造られ、人をもおつくりになった神は、今も私たちをみ言葉を持って養っていてくださるのです。

聖書要約
偶像とまことの神
イスラエルよ、神の言葉を聞きなさい。異国の民のように星占いで自分の運命や将来を読むような真似をしてはいけません。そんな予言を聞いて恐れてはいけません。彼らは森から切り出された木に金銀を飾り、留め金を留めて作ったもの、口もきけず、身動きもでない。きゅうり畑のかがしのようです。歩けないので運ばれていく。災いを下すことも幸いをもたらることもできません。
しかし、主なる神に並ぶ大いなる方はありません。神は諸国の大いなる王です。木工細工や金細工が造ったものはなんと空しいことでしょう。
あなたは真理の神、命の神、永遠を支配する王。あなたの憤りに諸国の民は耐えることができません。天と地を作らなかった神々は滅びます。
天地を造られた神は自然をも支配される。雨雲を湧きあがらせ、稲妻を放ち、風を倉から送られます。
しかし人間の手で作られた神は霊を持っていません。神は万物を創造された方です。
神は命じられます。荷物をまとめなさい。もうすぐ攻撃が始まります。あなたたちは私の憤りを肌で感じるようになるでしょう。
ああ、私(エレミヤ)の傷は重く悲しみは深い、私はこの傷を耐えていかなければならないのです。息子ら連れさられ、家を建てなおす者も残っていません。
民は神を求めることをしなかったので、群れは攻撃を受け、散らされ、町は荒廃するのです。
人は自分の人生を作ることはできません。私を正し道に導いてください。怒りにまかせないでください。そうでないと私は死んでしまいます。