エレミヤ書51章 帰還の預言


バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え。」エレミヤ書51:6

くぅ~ママちょっと一言
エレミヤ書の52章は補足ですので、エレミヤの預言はこの51章で終わります。バビロンによってユダが滅ぼされることを預言し続けたエレミヤですが、ついに預言の通りのことが起こります。しかしバビロンの捕囚が始まった時すでにエレミヤはバビロン滅亡を預言していたのです。しかし民の多くはその言葉を真剣に受け止めることが出来なかったでしょう。しかし一部の人にとってその言葉はバビロンの地にあって希望になったことでしょう。神の言葉を信じるクリスチャンも目の前のことにとらわれず、神のご計画を語る役割を担って行く民なのだと思います

聖書要約
神は言われる。「私はバビロンを滅ぼす全ての者たちを勇気づける。彼らは災いの日に四方からバビロンを攻める。生き伸びる者は一人もいない。私はイスラエルを捕囚の民としたが、見捨てたわけではない。イスラエルは私の聖い民である。しかしバビロンは聖なるものに背いた悪に満ちている。
イスラエルの民はバビロンから逃げて故郷に帰りなさい。バビロンはかつては神に用いられて周辺諸国を思いのままにしたが、今は突然の破壊がやってくる。その傷口に塗り薬の乳香を塗ってもその傷はいやされない。神はメディア出身のペルシャのクロス王を勇気づけ、バビロンを滅ぼされる。
神は力と知恵を持って地をお造りになり、天を張り広げ、雨雲を湧きあがらせ、神の倉から風を起こされる。金細工は偶像を作るたびに良心が鈍くなる。イスラエルの神は人が作った神ではなく、神があらゆるものを造られ、イスラエルをご自分の民とされた。
バビロンは神の戦いの武器として世界を思いのままにした。しかしバビロンがエルサレムで犯した悪に対して神は報復される。バビロンを撃つために諸国を呼び集め、バビロンは人の住めない廃墟とされる。
イスラエルの民はバビロンを神に訴える。「彼らは私たちを食い物にしました。私たちが受けた暴虐が彼らに降りかかるように」と。神はその訴えを取り上げ、バビロンの川を干上がらせ、瓦礫の山とし廃墟とする。彼らを子羊のように屠り場に引いて行く。世界のあこがれの的だったバビロンが滅びた。イスラエルの民よ。バビロンを脱出して、自分を救いなさい。神はその日が来ればバビロンの偶像を罰する。たとえバビロンの建物が天にそびえ、力が増し加わったとしても、必ずバビロンは滅ぼされると神は言われる。城壁は破壊され、人々は空しく消える。
バビロン滅亡の巻物
ゼデキヤ王の治世4年にエレミヤを通してセラヤに神の言葉が臨みました。それはセラヤがゼデキヤ王と共に捕囚に行く日が来るということでした。その時エレミヤが先に書いたバビロンの預言の巻物を携えていき、その地で朗読した後、巻物に石をつけてユーフラテス川に投げ込んで言いなさい。「バビロンは沈み、二度と浮かびあがらない」と。
ここまでがエレミヤの言葉です。