エゼキエル書20章 散らされた民


「わたしは、力強い手と伸ばした腕、ほとばしる憤りをもって、あなたがたを諸国の民の中から導き出し、その散らされている国々からあなたがたを集める。」エゼキエル書20:34

くぅ~ママのちょっと一言
エルサレムが包囲される2年半前の出来事とのこと。長老はエルサレムの危機を前に神から何か良い言葉が聞けることを期待してエゼキエルの所に来たのでしょう。しかし、神はイスラエルの背信と、神の赦しが繰り返された歴史を解かれ、裁きを宣告されました。しかし一握りの者による回復の預言もされたのです。その一握りの者から人類の救いが成就したのです。この地球の存続をかけて一握りに者となることがクリスチャンの使命であると思います。

聖書要約
エジプトからの救いと背信
ゼデキヤ王が捕えられてから7年後のことです。イスラエルの長老たちが私に神の言葉を伺いにやってきた時に、神の言葉が私に臨みました。「人の子よ、長老たちに私の言葉を語れ。『あなたたちが私に尋ねても答えない』と。先祖から今日に至るまで、この国の民が行ってきた全ての罪を伝えなさい。
私がイスラエルを選び、エジプトで私があなた方の神であることを示した時、彼らに誓った。「乳と蜜の流れる最上の地をあなた方に与える。だから偶像を捨てて私に従いなさい」と。しかしあなた方はエジプトの神々を捨てなかった。私はエジプトで怒りを浴びせようと思ったが、私の名誉のために思いとどまった。そしてエジプトから連れ出し、荒野に導き、民がそれを行えば生きることが出来る「掟」を与え、安息日を守ることで彼らを聖別した民のしるしとしようとしたが、彼らはそれを守らなかった。私は怒りを浴びせようと思ったが、私の名誉のために思いとどまった。また荒野でも民は偶像礼拝に心惹かれたので、私は怒り彼らを滅ぼし尽くそうとしたが、思いとどまった。私は荒野で彼らの子どもたちに祖父に倣ってはいけないこと。偶像で身を汚すことなく、安息日を守って聖別した民となるように諭したが、そうしなかった。私はこの民に諸国の間に散らすことを誓った。だから私は彼らが悪を行うのをなすがままにした。私が神であることを知るようになるために。彼らは乳と蜜の流れる地に入った後も、偶像礼拝を止めることなく高台をつくり、茂った木を見るとそこでいけにえを捧げ、自分の子どもを捧げものとして火の中に入れた。それは今日にまで続いている。それなのにあなた方の求めに応じれようか。あなた方は他の諸国のように木や石の神々に仕えようとしているがそうはさせない。私は強い手を持ってあなた方を連れ戻し、散らされた民を集める。そこで従わない者を裁く。契約に従う一握りの者はイスラエルに戻すが、他のほとんどの者は入ることができない。その時あなたがたは私が主であることを知るであろう。聖なるエルサレムの山で礼拝するとき、私はあなた方の捧げものを受け入れよう。あなた方は過去に犯してきた罪を悔い改めるであろう」