詩編137編 決して主をわすれることはない


「もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手はなえるがよい」137:5

くぅ~ママのちょっと一言
エルサレムはバビロンの攻撃にあって、都は陥落し、おもだった民は捕囚として連れ去られました。異教の地で神の都をエルサレムを偲び、主の助けを待つ民をバビロン人は嘲笑うのでした。神を信じて生きている者にとって、信仰をバカにされるほど悔しいことはありません。聖書の神を信じている者にとってどの宗教も言っている事は同じだと言われる時も心寂しく、もどかしさを感じつつも言葉をつぐんでしまいます。
イスラエルの民が捕囚においてもっとも辛かった事は労役でも、言葉や習慣の違いでもなかったと思います。信仰を嘲笑われ、自分の信仰が試されるほどの窮地に追い込まれたことではなかったかと思います。信仰は人格そのもの、存在そのものですから、信仰を否定されることは人格や存在を否定されるのと同じことなのです。

聖書要約
バビロンの川のほとりに座ってエルサレムを偲んで泣きました。手にしていた竪琴も柳の枝にかけてしまいました。イスラエルを征服した者たちが、私たちの信仰を嘲笑って「エルサレムの歌を歌え」としつこく言うのです。どうして歌う気になどなれましょう。ああエルサレムよ、私がもしおまえを忘れるようなことがあったら、私の右の手は折れてしまうがいい。舌が上あごについてしまうがいい。
神様バビロンによるエルサレム陥落の日のエドム人の仕打ちを忘れないで下さい。「この都をみな壊してしまえ」と言って都を破壊してしまったのです。破壊者バビロンを滅ぼす者に祝福があるように。バビロンの後継者を岩に投げつける人に祝福があるように。