ホセア書6章 主が喜ばれるものは
「わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない。全焼のささげ物よりむしろ、神を知ることである。」ホセア書6:6
助産師永原のちょっと一言
イスラエルは国家の危機に直面し、神に祈りを捧げているのですが、何が罪なのか、何が神の怒りに触れることだったのかについては触れておらず、形式だけの祈りであることが分かります。主はそれを指摘されているのです。
主は生けにえや捧げものより、主に心を向け、主を愛することを望んでおられるのです。
なんでも初心や感動を忘れると形式主義の間違いに陥りやすいですが、信仰は決して形ではないことを心に留めたいと思います。
聖書要約偽りの悔い改め
「さあ、神に帰ろう。我々を引き裂いた神は我々を癒してくださる。我々を傷つけた神は傷を包み込んでくださり、元気にしてくださる。神を知ろう。神を求めよう。主は必ず我々のところに訪れてくださる。あけぼのの光のように、降り注ぐ雨のように、大地を潤す春雨のように。
イスラエルとユダよ。あなたたちの主への愛は真実ではない。だから昼の後に夜が来るようにあなたたちを滅ぼすのだ。私がほしいのはいけにえや捧げものではなく、私への愛、私を知ることです。イスラエルの罪
あなたたちはアダムのように、カナンで私の契約を破りました。ギレアドでもシケムでもあらゆる犯罪を犯しています。またイスラエルの民たちが他の神々を拝むというとんでもない罪を私は見ました。イスラエルはとことんまで身を汚しました。ユダも重い刑罰が待っています。