アモス書6章 敵の手に渡される


「わたしはこのと、その中のすべての者を引き渡す。」アモス書6:8

くぅ~ママのちょっと一言
エルサレムとサマリアは丘の上に立てられた町で難攻不落と言われていました。また自分たちには神が共におられるとうぬぼれていました。しかし主はあなた方が神を顧みらず、自分勝手に贅沢な暮らしをしたことによって国は敵の手に渡されることを宣言されました。
私たちもクリスチャンだからといって安心していてはいけないのだと思います。過去の信仰や親の信仰の貯蓄で今日の救いは得ることはできません。今日主の前にどのように生きたかが問われるのだと思います。

聖書要約
グッド奢れる人々への審判
ユダの首都エルサレムと、イスラエルの首都サマリアで贅沢三昧に暮らしている人々は呪われます。カルネやハマト、ラバの国々は滅ぼされたのに、なぜあなたたちの町が滅ぼされないと言えるでしょうか。あなたたちがこれらの国より勝っているとでも言うのですか。あなたたちの行いによって刑罰の日が刻々と迫っているのに、あなた方はそのことを考えようともしません。それどころか象牙のベッドに横たわり、子牛や子羊を屠って宴をし、ダビデ気分で竪琴にあわせて歌を作り、大杯で酒を飲み、高価な香油を体に塗って贅沢をしながら、助けを求める人々に何もしてやらないのです。だからあなたたちは捕囚の列の先頭で歩かなければならなくなるでしょう。もう宴をすることもありません。主はご自分に誓われます。「豪華な神殿を憎み、都にある者を全て敵に回す」と。残されたたった一人、たった一軒も滅ぼされます。例え生き残ったとしても神に見つからないように声をひそめなくてはなりません。主は小さな家も、大きな家も木っ端みじんにされます。馬が岩の上を走る、牛が海を耕す。あなた方はこれらに劣らずバカげたことをしているのです。正義を腐敗させ、無に等しいような者であるのに、偉い者でもあるかのように有頂天になっています。主は言われます。「一つの国を興す。彼らはあなた方を虐げるでしょう」と。