ハバクク書1章 何に対して祈るのか


「そのため、彼は自分のに、自分の引きにいけにえを献げ、焼いて煙にします。」ハバクク書1:16

くぅ~ママのちょっと一言
ハバククは南王国ユダの首都エルサレムはバビロンの攻撃を受けて陥落する直前に活躍した預言者です。彼は二つのことに悩みました。一つは神の民であるユダをなぜ敵の手に渡されるのか。もう一つはユダの罪よりもっと罪深いバビロンをなぜ罰しないのか。ハバククは神のことばをただ受け取るだけではなく、民に代わって神に訴えることで神から幻を通して答えを頂きます。
カルディア人は人を捕えるための網を神として崇めるのだとハバククは言います。「イワシの頭も信心から」八百万の神を信じる日本の文化の中で私たちも生きています。イワシの頭や岩や石で作った狐などに手を合わせるわけです。祈りは神との人格的な交わりと言われます。心から願ったり、感謝したり、時には訴えるような祈りであったりします。そしてその答えが色々な形で示されたりするわけです。形あるものの前で祈りたいと思う人もおられるかもしれませんが、祈りの真剣さから思うと形あるものに祈る方が私は違和感を覚えるのですが…

聖書要約
預言者ハバククに示された神の幻です。
グッド預言者の嘆き
神よ、あなたは私が助けを求めてもお聞き下さいません。わたしの周りにある労苦や不法、争いをいつまで見ていなければならないのでしょうか。律法は無視され、神に逆らうものが神に従う者をねじ伏せてしまうのです。
グッド主の答え
私が今しようとしていることを知ったらあなたはびっくりするに違いない。それはあなた方が生きている間に起こります。地上の新しい勢力としてカルディア人を興し、諸国を次々と征服させる。彼らの馬は豹より早く、凶暴さは日暮れの狼も叶わないほどだ。彼らはまるで砂を集めるように捕虜を集める。彼らは王や王子をあざ笑い、城壁に向かって土を積み上げていとも簡単にその町を占領してしまう。しかし彼らの罪は重い。その力は自分たちの神から与えられたと言っているからだ。
グッド預言者の嘆き
永遠におられる聖なる神様。あなたは私たちを地上から抹殺するためにこのような計画をお立てになったのですか。断じてそうではありません。罪を犯した私たちを懲らしめて正し道に導くためにカルディア人ンを起こされたのです。しかし私たちも悪いのですが、彼らはもっと悪いです。神はそれを見逃されるのですか。神に逆らう極悪な者どもが彼らよりましな私たちを痛めつけているのを見過ごされるのですか。私たちは捕えられた魚のようです。彼らは楽しんで私たちを釣りあげたり、網で捕えたりします。そして彼らは網を神として香を炊き崇めるでしょう。いつまでこんなことが許されるのでしょうか。