ゼカリヤ書7章 真の信仰


「…本当にこのわたしのために断食したのか。」ゼカリヤ書7:5

助産師永原のちょっと一言
捕囚先から帰ってきた人たちが宗教儀式の事でエルサレムの神殿に尋ねに来たのに対して、主がゼカリヤを通して答えられました。形式ではなく心が伴なっているどうかが大切であると。そして4つの戒めを語られました。私たちもクリスチャンとして、礼拝に出席する時にどれほど喜びを感じているでしょうか。人の痛みを自分の痛みとして感じているでしょうか。心からの祈りを捧げているでしょうか。奉仕をする時に感謝を喜びがあるでしょうか。もし心が伴なっていないのなら、もう一度どれほど主が私を愛されて、良きもので満たしてくださっているかを再確認することから始めたいと思います。

聖書要約
グッド断食と回復の約束
ダレイオスの治世4年目にゼカリヤに臨んだ神の言葉です。それはベテルの町のユダヤ人の使節団がエルサレムに来た時のことです。使節団が次のような質問をしました。「私たちが長年実行してきた5月の断食して嘆くという伝統行事を続けるべきでしょうか」と。主はそれに対して答えられました「捕囚の70年の間、あなた方は断食をして嘆きの時を持ってきた。しかし本当に罪を悲しみ、私の事を考えただろうか。食べ物の事や、仲間の事など自分たちの楽しみのことばかり考えていたのではないか。あなた方の先祖に警告したかったこともそのことだった。」と。つづいてゼカリヤに主は話されました。「彼らに教えてやりなさい。『正しい裁きを行え、互いに誠実を尽く合え、やもめ、みなしご、外国人など弱い立場の者を虐げてはいけない、悪巧みをしてはいけない』と。あなた方の先祖はこれらの事を聞こうとしなかった。だから私の激しい怒りが下ったのだ。私はあなた方を諸国に散らし、あなた方の喜びの国は荒れ果てたのだ」