マタイによる福音書5章 愛の人に変えられる


「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」マタイ5:44

くぅ~ママのちょっと一言
モーセに与えられた律法(旧約聖書)とイエスによってもたらされる福音(山上の説教)が対照的に書かれています。律法は人として守らなければならない最低限の基準が示されており、山上の説教は生きるうえで最高の愛と恵みの基準が示されているとも言えます。それは私には出来そうにもないことばかりです。しかしイエスに近づき見習って生きていこうとする時に、また色々な物事をイエスキリストというフィルターを通してみた時に、愛せない人を愛することが出来る自分に変えられていくということを経験します。やはりこの素晴らしい愛の教えを「私には出来ない」で済ませてはいけません。「主イエスが語られたように生きることが出来るように、私自身を変えてください」と祈りたいですね。

聖書要約
山上の説教を始める
ある日、大勢の人々が集まってきたので、イエスは山に登って人々に教えられました。
幸い
心の貧しさを知っている謙遜な人は幸いです。天国はそういう人に与えらます。この世の悪を悲しむ人は幸いです。神が慰めてくださいます。自己主張せず神により頼む柔和な人は幸いです。この世はそう言う人のためのものです。神の前に正しくありたいと思っている人は幸いです。その願いはかなえられます。親切で憐れみ深い人は幸いです。神が憐れんで下さいます。心の清い人は幸いです。神と親しくお会いすることができます。平和を造り出そうとしている人は幸いです。神の子と呼ばれます。神に従おうとしているのに迫害される人は幸いです。天国にその報いが用意されています。
地の塩、世の光
あなた方は世の塩です。腐敗を防止したり、隠し味にかかせない塩の役割を果たさなかったら無用の者となってしまいます。あなた方は世の光です。誰にも見えるように あなた方のよい行いを輝かせなさい。天の父を人々がほめたたえるように。
律法について
わたし(イエス)がきたのは律法を無効にするためではありません。この神の戒めに対する態度が天国においてはその人の価値基準となるのです。
腹を立ててはいけない
律法では「殺すな」と書かれている。しかしわたしはさらに付け加えます。人に腹を立てたり、友をのろうと地獄の火に投げ込まれます。だから供え物をしようとする時、もしあなたを訴えようとする人がいたら一刻も早く和解しなさい。
姦淫してはならない
律法では「姦淫してはならない」と書かれている。しかしみだらな思いで他人の妻を見る者は心で姦淫したのと同じです。右目がそのようにさせるなら、えぐり出して捨ててしまいなさい。全身が地獄に落ちるよりその方がましです。
離縁してはならない
律法では「妻を離縁するなら離縁状を渡せ」と命じられている。しかし不倫以外の理由で離縁するなら、妻に姦通の罪を犯させることと同じです。
誓ってはならない
どんな誓いも立ててはいけません。あなた自身には自分の髪の毛一本でさえ白くも黒くもできない。ただ「はい、そうします」「いいえ、そうしません」とだけで十分です。
復讐してはならない
「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし私は言う。あなたの右の頬を打つなら、左の頬も向けなさい。求める者には与えなさい。
敵を愛しなさい
敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。自分を愛してくれる人を愛しても当たり前です。あなたの父である神の愛が完全なように、どんな相手にも完全な愛を持ちなさい。