マタイによる福音書7章 天の父が与えてくださる
「ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。」マタイ7:12
くぅ~ママのちょっと一言
山上の説教の最後の章です。6つの教えが説かれました。
「人を裁くな」それは自分が裁かれないためなのです。 「求めなさい」の最後の部分の「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなた方も人にしなさい」は山上の説教の総まとめとも言える教えですが、新約聖書全体の要約でもあり、黄金律(ゴールデンルール)と言われています。人に善をおこなう動機は主が私たちによい物を下さっているからなのです。
13節には神さまの道は回り道の狭い道だと書かれています。悠々自適の道では神さまの愛に触れることは難しいのです。
24節はかしこい人とおろかな人の生き方の違いです。岩の上に基礎を置いて家を建てた人とはイエスキリストを土台として建てあげる人生の確かさ、安定感、困難にも耐えうることが示されています。
この章は主に従って生きることが具体的に述べられています。クリスチャンとして生きる指針としたいと思います。
聖書要約
人を裁くな
人のあら捜しや高慢な気持ちで人を批判すると、あなたも同じようにされます。人の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中にある丸太に気がつかないのでしょう。自分の目の丸太を取り除いたら、はっきり見えるようになるでしょう。豚や犬は聖なる神の福音を理解せず、踏みにじったり、襲いかかってきます。聖なるものをそのような者に与えるのは豚に真珠を与えるようなものです。
求めなさい
求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。戸をたたきなさい。そうすれば開けてもらえます。パンをねだる子どもに石を与える父親がいるでしょうか。「魚が食べたい」という子に毒蛇を与える父親がいるでしょうか。まして、天の父は求める者によいものを下さいます。天の父からよいものを受ける者として、他の人にも、自分がしてほしいと思うことをしてあげなさい。これが律法と預言です。
狭い門
狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広いが、命への門は狭く、細く、見いだす者は少ない。
実によって木を知る
偽教師たちに気をつけなさい。彼らは羊の毛皮をかぶった狼です。正体を見抜くには行いを見ることです。実を見れば何の木かは分かるでしょう。よい実を結ばない木は切り倒され火に投げ込まれます。あなた方もその実である行いによって、その正体が見分けられます。
あなたのことは知らない
私に向かって「主よ、主よ」という者が天に入れるわけではない。天の父のみ心を行う者だけが入れます。そうでない者には「私はあなたのことを知らない」というでしょう。
家と土台
私の言葉を聞いて行う者は、岩の上に家を建てた賢い人に似ている。嵐が起こっても倒れることがありません。私の言葉を聞いて行わない者は砂の上に家を建てた愚かな人に似ています。嵐が起こると、跡形もなく壊れてしまいます。群衆はイエスの言葉に目を見張りました。それは特別な権威をもってお語りになったからです。