マタイによる福音書23章 真心を込めて生きる
「まず、杯の内側をきよめよ。そうすれば外側もきよくなる。」マタイ23:26
くぅ~ママのちょっと一言
律法学者やファリサイ派の人々は聖書に記載されていない「言い伝え」を追加して、重い荷物を人々の肩に負わせる一方で、自分達は大切な律法を守っていなのです。そんな彼らを真似てはいけないと皮肉たっぷりにイエスは教えられます。では何を真似てはいけないのでしょうか。それは11節に書かれている「高ぶり」です。たとえば聖句の小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたり、宴会の上座を好んだり、「先生」と呼ばれたがることなどです。イエスの教えは「仕える者になりなさい」ということです。
そしてイエスは彼らの忌まわしさを7つ指摘されました。信仰は形式が重んじられすぎると、神様不在、心が伴わない信仰になりがちです。主なる神は私たちの「行い」の奥にある「心」を見ておられるのです。主に対していつも真実な心で生きたいと思います。
イエスの嘆きは「魂の永遠の滅び」を意味しており、イエスキリストを信じ、罪の告白がされない限り主イエスによって救われることはないということが語られています。
聖書要約
律法学者とファリサイ派の人々を非難する
イエスは群集と弟子達に向けて話されました。「律法学者やファリサイ派の人たちはモーセのように人々に律法を教える立場にあります。しかし彼らの言うことは真似をしてもいいが、彼らのすることを真似してはいけません。彼ら到底実行できないような命令を与えておいて自分では実行しない。彼らのすることといえば見せびらかすことばかりだ。聖句の入った箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたり、宴会では上座を好み、「先生」と挨拶されたがる。教師はイエスキリストただお一人です。人に仕える人が最も偉大な者です。自ら低くする者がかえって敬われるのです」」と。
律法学者やファリサイ派の人たち、あなたたちは偽善者であり、ものの見えない道案内人のようなもの。なんと「不幸」な人たちなのでしょう。なぜなら
①人々に天の国を閉ざして人々も自分も入れなくしている。②熱心な改宗者を得るためにせっせと出かけていくが、天に導かず地獄の子にしてしまう。③神殿より黄金を、祭壇より供え物を尊ぶことを教えた④律法にないようなものまで、細部に亘って、十分の一の献金を実行するが、律法の中ではるかに重要な「正義や慈悲、誠実」を忘れている。(ぶよ一匹さえも濾して除くが、らくだは呑みこんでいる)⑤杯の外はきよめるが内は罪に汚れている⑥あなたたちの信仰は白く塗った墓のようだ。外は美しく見えるが、内は汚れで満ちている。⑦先祖が預言者を迫害したことは自分達は無関係というが、あなた方はその子孫であることを認めているし、今まさにイエス様に対して同じ事をしようとしている。
エルサレムのために嘆く
「預言者を殺して、あなたたちのために神が遣わした人々を殺してしまう者たちよ。わたしはあなたたちを めんどりが雛を羽の下に集めるように、何度集めようとしたことか。しかしあなた方は応じなかった。あなたがたの家は見捨てられ、荒れ果てる」とイエスは嘆かれました。神から遣わされたものを喜んで受け入れるまで、あなた方は二度とわたしを見ることはありません。