マルコによる福音書2章 罪を赦す権威
「子よ、あなたの罪は赦された」マルコ2:5
くぅ~ママのちょっと一言
イエスは「あなたの罪は赦された」と言われました。罪とは神さまに背を向けて生きること。神様の祝福の外で生きることを言います(罪=ハマルティア=的を外す)3節に書かれている男達の行動はまさしくイエスに心を向け、祝福を受けようとすることであり、それに対して「罪は赦された」とイエス様がおっしゃたのです。病気が治ることは有難いことですが、神さまとの関係が回復することはさらに大切なことです。この世を去る時には病気のことより、神さまとの関係の方が大切なことは言うまでもないことです。
13節の「レビ」とはマタイの福音書を書いたマタイのことです。マタイは徴税人で、収税所に座っていたところをイエスに声をかけられたのです。当時、徴税人はローマに仕え、同胞のイスラエル人からお金を集め、一部は着服するという生活をしていたので、罪人とされていました。
18節の断食問答ですが、弟子は大切な律法に書かれている断食をしていませんでした。律法は人が幸せに暮らせるように神さまから頂いたもので、縛り付けるものではありません。またイエスが来られたことで、新しい時代が始まったのに、古い生き方に固執していることの間違いを皮袋のたとえであらわされました。
聖書要約
中風の人を癒す
イエスが再びカファルナウムに来られた時の事です。そのことを聞きつけて、大勢の人が詰め掛けます。そこに4人の男の人達が中風の友人を寝かせたままつれてきました。人に阻まれて入れないのが分かると、屋根をはがしてイエスの前に友達を吊り降ろしたのでした。それをご覧になってイエスは「あなたの罪は赦された」とおっしゃいました。同席していた律法学者の「神を冒涜している」という思いを、イエスは察し、イエスが罪を赦す権威がある事が目で見て分かるように「起きて歩け」とおっしゃったのでした。その男はすぐに床を担いで皆の見ている前で出ていきました。人々は驚き、神を賛美しました。
レビを弟子にする
イエスは再び湖畔に行き、集まってきた人々に教えられました。岸を歩いていると、収税所に座っているレビを見かけました。イエスはレビに「従ってきなさい」と声をかけられました。するとレビはすぐに立ち上がり、イエスに従いました。イエスがレビの家で多くの罪人や徴税人と共に食事をしているのを見て、ファリサイ派の人たちが弟子に「どうして彼は罪人と一緒に食事をするのか」と尋ねました。イエスはそれを聞いて答えられました。「医者を必要とするのは丈夫な人にではなく病人である。わたしが来たのは正しいと思っている人を招くのでなく、罪人を神さまの下に立ち返らせるためです」と。
断食についての問答
「ヨハネやファリサイ派の弟子が断食をしているのに、イエスやその弟子は断食をしていないのはなぜか」とファリサイ派の人が聞きました。イエスは言われました「花婿が一緒にいるのに婚礼の客が断食出来るだろうか。彼らは花婿が奪い去られる時、断食するでしょう。新しいぶどう酒を古い革袋に入れたら、革袋は破れてしまいます。新しいぶどう酒は新しい革袋に入れなければなりません。
安息日に麦の穂を摘む
安息日にイエス一行が麦畑を通る時に麦の穂を摘んでいました。ファリサイ派の人たちが、「安息日にしてはいけないことをしている」と言いました。イエスは言われました「ダビデも空腹だった時、祭司しか食べてはいけないパンを食べたではないか。安息日は人のために定められたもので、安息日のために人があるのではない。人の子(メシア)は安息日に何をしてよいかを決める権威もあるのです。」と。