マルコによる福音書4章 信仰の種
「すると芽生え、育って実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」マルコ4:8
くぅ~ママのちょっと一言
神の国を「種の成長」のたとえで話されました。神の言葉(みことば)に対してどのような態度で臨むかによって、信仰が実が違ってきます。そしてからし種のような小さな信仰でも、それを実らせてくださるのは主なる神です。素晴らしい愛の世界を実らせてくださることに期待したいと思います。
また荒れ狂う湖を、イエスがことばを持って静められたことが書かれています。人生の荒波、いや小波でも動揺し、不安になってしまう私たちですが、嵐を静めてくださるイエスが私の人生と言う船にも同船してくださっていることを覚えたいです。
聖書要約
種を蒔く人」のたとえ
イエスは再び湖畔で教え始められました。おびただしい群衆が集まってきたので、イエスは舟に乗り、湖から岸に向かって話されました。「よく聞くなさい。農夫が種をまきました。道端に落ちた種は、鳥が来て食べてしまいました。石地に落ちた種はすぐに芽を出しましたが、土が浅いので強い日差しで枯れてしまいました。茨の中に落ちた種は茨が成長を阻み、実を結びませんでした。良い地に落ちた種は30倍、60倍、100倍の収穫をあげました。
たとえを用いて話す理由
イエスの近くにいた人たちがたとえで話す理由を聞きました。するとイエスは「あなた方には神の国の秘密が明かされているが、他の人にはすべてたとえで話される。」と言われました。それはイザヤ書(6:10)の預言通りです。
「種をまく人」のたとえの説明
「種」とは神の言葉、「種を蒔く人」とはそれを語る人です。道端とは神の言葉を聞いても心を堅く閉ざしてしまいます。石地とは神の言葉を喜んで受け入れても、根を張るような信仰にならず、困難なことがあれば離れてしまいます。茨とは神の言葉を受け入れても、世の思い煩いや、忙しさや、欲望などが心を支配し、実りがありません。「よい地」とは福音を聴いて受け入れる人のことで、ある者は30倍、ある者は60倍、ある者は100倍の実を結びます。
「ともしび」と「秤」のたとえ
またイエスはたとえを話されました。「せっかく火をともしたランプに覆いをかぶせる人がいるだろうか。ランプはあたりを照らしてこそ価値がある。いま隠されていることは、いつか明るみにでる。わたしの言葉をよく聞くこと。そしてそれをおこなうこと。そうすればわたしの言ったことが分かります。持っている者はさらに与えられ、持っていない人は持っているものまで取り上げられます。
「成長する種」のたとえ
またイエスはたとえを話されました。「神の国は農夫が種を蒔いたようなものだ。どんどん種は成長して、実を結ぶ。土が種を成長させてくれるからだ。農夫はその実を刈り取るのです
「からし種」のたとえ
また神の国をからし種にたとえられました。どんな種より小さいが、蒔くと成長して、葉蔭に鳥が巣を作れるほどになります。
たとえを用いて語る
イエスは聞く力に応じてたとえで神の言葉を語られましたが、弟子たちにはひそかに説明されました。
突風を静める
話を終えた後、船を沖に漕ぎ出したのですが、激しい突風が吹いて船が沈みそうになります。弟子たちは船の艫で寝ていたイエスに助けを求めます。イエスが起きて風を叱ると風はやみ、凪になりました。弟子たちは「風や湖までが従うとは」とささやきあいました。