ルカによる福音書5章 今までにとらわらない


「でも、おことばですので、を下ろしてみましょう。」ルカ5:5

くぅ~ママのちょっと一言
17節で中風の男をイエス様が癒されたのを見た宗教家たちは、罪は動物の犠牲によって赦されるものと考えていたので、イエスがイエスの名によって罪を赦すことが理解できませんでした。またイエスの福音は「~してはならない」「こうあらねばならない」ではなく、食べたり、飲んだりする自由と解放された陽気さと躍動があります。このような新しい時代の生き方を保守的な考え方は排除します。新しい服、新しいぶどう酒のたとえは、躍動するような新しい考えは古い価値観で理解しようとしても出来ないということなのです。
今までの生き方にとらわれず「網を降ろしてみなさい」というイエスの言葉を信じて行動したいと思います。行動に移さなければ、大漁を経験することは決してないのです。

聖書要約
漁師を弟子にする
ゲネサレト湖畔におられるイエスの所に大勢の群衆が押しかけて来ました。イエスはシモンに舟を出してもらい、舟から岸に向って話されました。話し終えた後、イエスがシモンに「沖に漕ぎだして網を降ろし、漁をしなさい」といわれました。シモンは「夜通し漁をしたけど、何も取れませんでした。しかしお言葉ですから」と、イエスの言葉に従いました。すると網が破れるほどの沢山の魚が取れたのです。そこでシモン ペテロは「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものです」と、イエスの足元にひれ伏しました。側にいたヤコブ、ヨハネも同様でした。イエスは「怖がらなくてもいい、これから人間をとる漁師にしてあげよう」と言われました。岸に上がると、彼らは全てを捨ててイエスに従いました。
重い皮膚病を患っている人をいやす
全身に重い皮膚病を患っている人がイエスに「どうかわたしの体を元に戻してください。あなたのお気持ち一つで治ることができるのですから」と願いました。イエスが男にさわると皮膚病はたちまち消えました。イエスのうわさはますます広まり、大勢の人が教えを聞いたり、癒しを求めて集まってきました。
中風の人をいやす
ある日、イエスが教えておられる所にパリサイ派の人々や律法の教師数人ががやってきて、話を聞いていました。そこに床に乗せられた中風の人が男たちに担がれてやってきました。群衆で遮られたので、男たちは屋根に上り、屋根をはずして、イエスの前に吊り降ろしました。イエスは彼らの信仰をご覧になって、「あなたの罪は赦された」と言われました。居合わせたファリサイ派の人々たちはその言葉に対し、神への冒涜と反発の感情を持ちました。それを見抜かれたイエスは「わたしは病気を治す力も、罪を赦す力も持っているのです」と言われ、その男に「起きて歩け」と命じられした。すると男は立ちあがって賛美しながら家に帰って行きました。皆は神を畏れほめたたえました。
レビを弟子にする
イエスはレビという徴税人に「わたしに従いなさい」と言われました。彼は何もかも捨ててイエスに従い、自分の家にイエスを招き、他の徴税人たちと盛大な宴会を催しました。ファリサイ派の人々たちはなぜイエスは罪人と食事をするのか問うたので、「医者を必要とするのは病人であるように、わたしは罪人を招いて悔い改めされるために来た」と答えられました。
断食について
人々はイエスの弟子が、他の宗教家のように断食しないのはなぜかと尋ねました。イエスは「花婿が取りされる時には、断食をする。」そして新しい布で古い服を継ぎあてはしない。どちらも台無しになる。古い革袋に新しいぶどう酒を入れると袋は破れる。また古いぶどう酒を飲めば、新しいぶどう酒はほしがらないとたとえで話されました。