ルカによる福音書7章 罪の自覚が増すほどに


「この人は多くの罪を赦されています。彼女は多く愛したのですから。」ルカ7:47

くぅ~ママのちょっと一言
ルカ7章は二人の異邦人への癒しから始まります。福音がイスラエルだけでなく異邦人、そして全世界に及ぶことを告げています。
百人隊長はその信仰を評価され癒されますが、一人息子の癒しの動機は、母を見て「憐れに思った」(スプランクノン:内臓が動くの意)ことでした。そして棺に触れられて声をかけられました。律法では棺に触れることは自分を汚すことで、あり得ないことでしたが、律法を越える、愛の世界(福音)をイエスは示されたのです。律法の最後の人物ヨハネが、神の国では最も小さい者とされるのは、新しくスタートする新約の時代のいかに素晴らしいかを表している言葉でしょう。
イエスに香油を注ぎかけた罪の女性は多くを赦されました。それは「彼女が示した愛の大きさでわかる」とイエスは言われました。彼女の涙は悔い改めと感謝と喜びのしるし、足への口づけはイエスに対する最高の感謝と謙遜を現わしています。罪の自覚の増すところに恵みの自覚も増します。この女性のように、自分の多くの罪を認め、それが赦された(主イエスに愛された)と自覚するところから、本当に大きな愛を行うことが可能となるのではないでしょうか。

聖書要約
グッド百人隊長の僕をいやす
イエスがカファルナウムに行かれた時のことです。百人隊長(ローマの兵隊)の部下が重い病のために死にかかっていました。ユダヤの長老たちはその人がどんなにユダヤ人を愛してよくしてくれたかをイエスに話し、助けてほしいと頼みます。そこに向かう途中隊長の友人がやってきて、「お言葉を下されば僕は治るでしょう。わたしも権威の下に置かれている者です。上司が命じたらその通りになります」と言いました。イエスはイスラエルの中でもこれほどの信仰は見たことがないと言われ、僕を癒されました。
グッドやもめの息子の癒し
イエスがナインに行かれた時、夫を亡くし、今一人息子を弔おうとしている人たちに出会いました。イエスは母を見て、憐れに思い、息子を生き返らされました。この話はユダヤ、その周辺に広がりました。
グッド洗礼者ヨハネとイエス
ヨハネは弟子に「来るべき方(メシア)はあなたでしょうか」と尋ねさせます。イエスは「見えない人が見えるようになり、死者が生き返り、貧しい人がすばらしい知らせと聞いている『わたしを疑わない人は幸いです』と伝えなさい」そして人々に「ヨハネは聖書に書かれているとおり、メシアを迎える準備をした。今までに生まれた人の中で彼ほど偉大な人はいない。しかし神の国では最も小さな者でも彼よりずっと偉大だ。ヨハネを荒野に見に行ったがバプテスマを受けず、神のみこころを拒んだ宗教家たちはイエスを見て、「大食漢で大酒呑みで罪人の仲間」と言ってつまづくのは当然でしょう。」と言われました。
グッド罪深い女性を赦す
ファリサイ派のある人がイエスが食事に招きました。食卓の席に一人の女性が入ってきてイエスの後ろにひざまずき、彼女の涙でぬらしたイエスの足を髪の毛でぬぐい、持ってきた高価な香油をイエスに注ぎかけました。ファリサイ派の人は「この女性が罪の女だと気づかないイエスは偽預言者だ」と思いました。それを見抜かれたイエスは「この女性は多く赦されたから、多く愛した。」と言われ、女に「あなたの罪は赦された」「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」と言われました。