ルカによる福音書10章 あなたの隣人とは
「ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。」ルカ10:33
くぅ~ママのちょっと一言
善いサマリア人の例えは、21節で語られた喜びにあふれる新しい世界を具体的に示しています。①見て②哀れに思って③近寄って④自分の出来る処置をして⑤宿屋に連れて行き⑥お金を払って、⑦その人を宿屋の主人に頼みます。「隣人とは誰か」と隣人を探すのではなく、私が「隣人とされるために」出て行って、行うことなのだと聖書は教えています。その後にマルタとマリアのことが書かれています。この2人の女性の違いを示して、永遠の命を受ける為に何をすべきかということを、さらに積極的解答として書かれています。ポイントは「喜び」だと思います。マリアは「喜んで」イエスに傾聴しました。マルタの口からは文句が出ています。もし神さまの愛に押し出されて喜んで給仕をしたとしたら、マリア以上の恵みがあったのではないかと思うのです。
聖書要約
七十二人を派遣する
イエスは72人を選び、ご自分が行く予定の場所に二人ずつ派遣しました。「収穫は多いが働く者があまりにも少ない。さあ、出かけなさい。何も持っていってはならない。喜んで迎えてくれる町では、出された者は何でも食べ、病人をいやし、『神の国がすぐそこまできている』と伝えなさい。歓迎してくれない町では広場に行って、『裁きの日にはあの邪悪なソドムの罰の方が軽い』と言いなさい。」
悔い改めない町を叱る
悔い改めない町は不幸だ。もしティルスやシドンでこの奇跡が行われたら、悔い改めたに違いない。わたしたちは選ばれた民だとうぬぼれている者たちよ。あなたたちは地獄に突き落とされます。あなた方を受け入れない者はわたしを受け入れないばかりか、私をお遣わしになった神も受け入れないのです。
七十二人、帰ってくる
七十二人が伝道から帰って来て、喜んでこう言いました。「主の名前を使うと、悪霊さえも私達に屈服しました」と。しかしイエスさまはおっしゃいます「悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と。
喜びにあふれる
イエスは聖霊によって喜びにあふれて言いました。「これらのことを小さな子供のように神を心から信じる者にお示しになりました。」そして「多くの預言者や王達が見たいと思っても見れなかった、聞きたかったが聞けなかったことが、今知らされる時代がやってきています。」このようなメシアの到来、新しい時代の到来のことを、イエスは喜びを持って語られました。
善いサマリア人
律法の専門家がイエスを試そうと質問します。「永遠の命を受ける為にどうしたらいいか」と。「律法には何と書いてあるか」と問われるイエスに、彼は「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人をあなた自身のように愛しなさい」と答えました。イエスは「それではそれを実行しなさい」と仰います。「では隣人とはだれですか」というさらなる質問に、イエスはたとえで話されました。
ユダヤ人が追いはぎにあって瀕死の状態にあるのを見て、祭司もレビ人も道の向こうを通って行ってしまいましたが、彼を助けたのはユダヤ人からすると反目関係にあるサマリア人でした。見て、哀れに思い、近寄って、自分の出来る処置をして、宿屋に連れて行き、お金を払って、その人を宿屋の主人に頼みました。そしてイエスは「あなたも行ってそのようにしなさい」とおっしゃいました。
マリアとマルタ
イエスはある村に行きました。マルタとマリアが喜んでイエスを迎えました。マリアはイエスの側に座り、話を聞いていました。接待で忙しマルタは「マリアに手伝うように言ってほしい」とイエスに言います。イエスは本当に大切なことはただ一つです。マリアはそれを選んだのです。それを取り上げてはいけない」と言われました。