ヨハネによる福音書2章 水がぶどう酒に変えられる
「 宴会の世話役は、すでにぶどう酒になっていたその水を味見した。汲んだ給仕の者たちはそれがどこから来たのかを知っていたが、世話役は知らなかった。」ヨハネ2:9
くぅ~ママのちょっと一言
ぶどう酒は婚礼では欠かせないものでした。ところがそのぶどう酒が途中でなくなってしまったのです。マリアがイエスにそのことを話しますが、そのイエスの返答は大変冷たく聞こえます。しかしそうでもないようです。「婦人よ」と言う呼びかけは、母マリアへの尊敬をこめた呼びかけなのだそうです。また「どんな関わりがあるのですか」も強い言葉に聞こえますが、マリアは婚礼のぶどう酒がなくなったことに関心があるのに対して、イエスはぶどう酒が無くなったという言葉から、人類は救われなければ成らない窮乏状態にあること、それには自分が十字架にかかる必要があることを思い巡らされて、「母の関心事と私の関心事は違うのです」と言われた言葉。または「心配はご無用です。私に任してください」と言うような意味が込められているようです。そう理解すると5節の母マリアの言葉がうなづけます。
私たちの人生においてもぶどう酒がなくなることがあるかもしれません。すなわち、人生においてなくてはならないと私たちが思っているもの、それは健康や、安定した経済や、社会的な地位、円満な家庭生活などでしょう。それが予期せぬ時になくなることがあるのです。私達は色々な手段を講じてその窮地を切り抜けようとします。自分の出来る限りの手立てを講じることは大切なことだと思いますが、頼るべき方はイエスキリストです。「こんな時にイエスキリストへの信仰が何になるのか」という思うことは「ぶどう酒の瓶に水を入れてどうなるものか」と言うのに似ています。しかし水が入れられた瓶の中には、前のぶどう酒より上等のぶどう酒が満タン入っていたのです。それは信じて行動することによって前よりはるかに素晴らしことが、備えられるということではないでしょうか。そしてそんな素晴らしい経験が出来るのは“水を汲んだ者”だけなのです。
聖書要約
カナでの結婚式
カナで結婚式にイエスの母マリアとイエスそして弟子たちが招かれていました。ところが婚礼ではなくてはならないぶどう酒がなくなってしまいました。マリアはイエスにそのことを告げました。するとイエスは「婦人よ、わたしとどんな関わりがあるのですか。わたしの時はまだきていません」と答えられたのですが、マリアは召使に「この人の言う通りにするように」と言います。イエスは「しもべに水瓶に水を一杯入れて、世話役のところにもっていきなさい」と言われました。しもべたちはイエスが言われたようにしました。するとその水はぶどう酒に変わっていたのです。それも前のぶどう酒よりいいぶどう酒だったのです。弟子達はイエスがメシアだと信じました。これがイエスの最初の奇跡です。
神殿から商人を追い出す
イエスは過ぎ越祭が近づいたのでエルサレムに行かれました。神殿の境内では供え物の羊や鳩が売られたり、捧げもののための清い硬貨に交換する両替商が商売をしていました。イエスは縄で鞭を作り、「父の家を金儲けの場所にしてはならない」と商人たちを追い払いました。弟子たちは「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽す」と詩篇に書いてあることを思い出しました。ユダヤ人たちは「何の権威があってこのようなことをするのか。もし神の権威が与えられているなら、そのしるしを見せよ」と言います。イエスは「神殿を壊して3日で立て直す」と言われました。この神殿を建てるのに四十六年もかかっています。しかしイエスはご自分の十字架の死と3日目の復活の事をおっしゃったのでした。
イエスは人間の心を知っておられる
人々はイエスの奇跡を見て、イエス様を信じましたが、その信仰はうわべだけで、イエスが神の子キリストであるという信仰はまだないということをイエスはちゃんとわかっておられました。