ヨハネによる福音書6章 天から与えられる命のパン


「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」ヨハネ6:35

くぅ~ママのちょっと一言
5千人の食べ物の奇跡は4つの福音書すべてに書かれていますが、この奇跡の真の意味が書かれているのはヨハネだけです。イエスは「私が命のパン」といわれ、モーセが荒野で与えたパンに優る「天からのまことのパン」と言われます。そしてイエスが人類の罪の身代わりとなって十字架にかけられたことを信じることを「私の肉を食べ、私の血を飲む」と表現されました。すなわち、私の罪のために十字架に架かってくださったイエスを信じることで、皆永遠の命をえることができるのです。

聖書要約
グッド五千人に食べ物を与える
イエスはガリラヤ湖の向こう岸に渡られ丘に登られると、多くの群集が後から後から丘を登ってきました。イエスはフィリポに「この人たちに食べさせるにはどこからパンを買ってきたらいいか」と尋ねます。フィリポは「一財産あっても無理でしょう」と答えました。別の弟子のアンデレが少年の持っていた5つのパンと2匹の魚をイエスに差し出しました。イエスは群集を座らせました。男だけでも5千人はいましたが、イエスが祝福されて、それを分配すると皆が満腹するまで食べることができました。そして残ったパンくずを集めると12のかごいっぱいになりました。すばらし奇跡を見た人々はイエスを王とするために連れて行こうとしましたが、イエスは抜け出してひとり山に退かれました。
グッド湖の上を歩く
夕方になり、弟子達だけで舟で湖に漕ぎ出しました。強風が吹いてきて湖が荒れ始めたところにイエスが湖面を歩いてこられました。恐れる弟子達に「わたしだ。おそれることはない」と語られました。イエスを舟に迎え入れてまもなく目的地カファルナウムに舟をつきました。
グッドイエスは命のパン
群集はカファルナウムまでついてきました。イエスは人々に「あなたがたは昨日パンを食べたのでついてきたのだろうが、食べ物のような目に見える者に心を奪われてはいけない。それより永遠のいのちを手に入れる努力をしなさい」と言われました。どのようにしたらよいかと尋ねる人々に「神が使わされた者を信じることだ。」と言われると、彼らは「私たちが信じることができるように奇跡を見せて下さい。モーセが民にマナを食べさせたように」と言うと、イエスは「マナを与えたのは私の父である神だ。神が天から命のパンを与えて下さる。私が命のパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることはなく、渇くことがない。しかしあなた方は私を信じず、私のもと来ようとしない。父は子であるわたしを信じる者が永遠の命を得、終わりの日に復活することを願っておられる」と言われました。ユダヤ人たちは「イエスはヨセフの子であるのになぜ天から下ってきたと言うのか」とつぶやきました。「マナを食べた人は皆死にましたが、天から下ってきたパンである私を食べる人は永遠に生きます。」と言うイエスの言葉に人々は「人の体を食べるなんてできない」と言います。しかしイエスは「わたしの肉を食べ、血を飲まなければ永遠の命を得ることはできない」と言われました。
グッド永遠の命の言葉
しかし多くの弟子は「肉を食べ」と「血を飲む」の表現が「霊的食物を与えられる」という意味である事を理解せず、つまづきました。肉体として生まれただけでは永遠の命は頂けません。聖霊によっていのちが与えられる必要があります。これらのことを信じることができない者が大勢います。それは父が引き寄せて下さらなければだれも私のところに来ることはできないからです。