ヨハネによる福音書13章 一わたしがあなた方を愛したように


「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」ヨハネ13:34

くぅ~ママのちょっと一言
13章はイエスの告別説教です。それは十字架を前にした最後の晩餐の席で行われた弟子達の足を洗うという感動的な光景から始まります。人の足を洗うという行為は当時奴隷がすることでした。
聖書は「私達がどのように生きていくことが幸せなのかが書かれている書物」と言えますが、その答えが「イエスに倣って生きる」ということなのです。この13章はイエスが生き方を示してくださった箇所です。傲慢な心、名声を得たい、評価されたい、他の人と比較されたくないにもかかわらず、自ら比較して優位に立ちたい、そんな人間の本質を考えると「人の足を洗う」生き方はなかなかできるものではありません。しかし「主であるイエスがされたのだから」というところに立つことで出来そうな気がします。最後にイエスが示された新しい掟も「互いに愛し合いなさい」ですが、その前に「わたしがあなた方を愛したように」、が付け加えられました。イエスを模倣する生き方をし続ける人生でありたいと思います。うまくいかなくても気を落とさず、再チャレンジの人生でありたいです。

聖書要約
グッド弟子の足を洗う
過越祭の前にイエスはこの世を去って父の下に帰る時が来たと覚悟を決められ、弟子たちをこよなく愛し抜かれました。夕食の出来事です。この時すでにサタンがイスカリオテのユダの心にイエスを裏切る考えを抱かせていました。イエスは食事の席を立ち上がり、たらいに水を汲んで弟子達の足を洗われました。しかしペテロが「先生に足を洗ってもらうなんてもったいなくて」と拒否しますと、「わたしがしていることが後で分かるようになります。」と。それでもペテロが拒否すると、イエスは「ではわたしと関係がなくなりますよ」と言われて、ペテロは「では手も頭も」と言います。「足だけ洗えば全身は清い。しかし皆が清いわけではない」と、裏切る者がいることを言われました。そして「主であり、師であるわたしが足を洗ったのですから、わたしが模範を示したように、あなた方も足を洗い合いなさい」と言われました。へりくだって行うことが祝福への道です。しかし全員に言っているのではありません。「わたしと同じパンを食べている者がわたしを裏切った」と言う預言通りのことが起ります。あなた方がわたしを信じられるようにそのことを先に話したのです。「わたし(イエス)を受け入れる人は神を受けいれることである」とイエスは言われました。
グッド裏切りの予告
それからイエスは「あなた方のうちの一人がわたしをの裏切ります」と言われます。ペテロがイエスの横に座っている弟子(ヨハネ)に、誰か尋ねるように合図しました。弟子が聞くとイエスは「わたしがパン切れを浸して与える人がその人だ」と言われ、イスカリオテのユダにパンをお与えになりました。ユダはパンを受け取るとサタンがユダの心に入り、すぐに闇夜に出て行きました。
グッド新しい掟
ユダが出て行った後、イエスは言われました「神の栄光がわたしに現れます。そしてわたしの身に起ることで神の御名が崇められるでしょう。もう時間がありません。あなたたちを残して行かなければなりません。新しい掟をあなたたちに与えます。『わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。そのことによってわたしの弟子であることが皆に知れるように』」と言われました。
グッドペテロの離反を予告する
「どこに行かれるのですか。わたしはあなたのためなら命を捨てます」というペテロにイエスは「鶏が鳴くまでに、あなたは3度わたしのことを知らないと言う」と予告されます。