ヨハネによる福音書20章 見ないで信じる者に
「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」ヨハネ20:27
くぅ~ママのちょっと一言
クリスチャンにとってイエスの十字架と復活は信仰の中心であり、どんな状況の中でもそこに立つことで、希望を見出すことができます。もちろんこの出来事は4つの福音書全てに書かれています。スポットを当てるところや描写はそれぞれに違いがありますが、大筋において、大切な事はイエスの死体が葬られた墓が空になっていたこと。そして復活されたイエスが弟子達に姿を現されたことです。
ヨハネの福音書の内容は①朝早くマグダラのマリアは墓に行った。②墓は空であった③弟子に知らせた④2人の弟子が走って墓に行った。⑤走って来た弟子たちは死体がなくなっているのを見て、復活されたことを信じた。⑥後から追いついて墓に再びやってきたマリアは墓の中で二人の天使を見た。⑦「婦人よ、なぜ泣いているのか」という言葉の方を振り向いた。初めはイエスと気付かなかった⑧イエスの「マリア」という呼びかけに、復活のイエスと気がついた。⑨弟子達にそのことを告げ⑩その日の夕方弟子たちが集まっているところに復活のイエス様が現れ、罪を赦すことが出来る聖霊を吹きかけてもらった。⑪その場にいずに、復活のイエス様を信じないとと言ったトマスにもその8日目に現れてくださり「信じない者ではなく信じる者になりなさい」と言われた⑫そして「見ないで信じる者は幸いであると」言われた。聖書の中でも処女降誕と復活は信じるのは、なかなか難しいことだと思いますが、トマスのように疑う心で聞いても理解する事は出来ないでしょう。まずは信じることなのです。
聖書要約
復活する
週の初めの日曜日の朝早く、マグダラのマリアは墓に行ってびっくりしました。大きな墓石が入り口から取り除かれていたのです。マリアはペテロとわたし(ヨハネ)のところに駆けつけてそのことを告げました。それを聞いてわたしたちは墓に向かいました。わたしの方が先に墓につき、墓を除くと亜麻布は見えましたが、イエスはどこにもおられませんでした。わたしたちはイエスが復活されたことを信じました。実際この時まで復活するという聖書の言葉を信じていませんでした。二人は家に戻りましたが、マリアは墓に戻り、泣きながら墓を除くと、中に二人の天使が尋ねました。「なぜ泣いているのか」と。「誰がわたしの主を取り去ったのですか。」とマリアが答えて振り向くと、そこにイエスが立っておられました。イエスが「マリア」と呼ばれたとき、マリアイエスであることに気づき「先生」とすがりつこうとしましたが、イエスは弟子たちにこう伝えてほしいのです「わたし父であり、あなた方の父、わたしの神であり、あなた方の神の所にわたしは昇る」と。マリアは弟子たちに「主に会いました」と言って、主から言われたことを伝えました。
イエス弟子たちに現れる
その日の夕方、弟子たちの所にイエスが現れ、「平和があるように」と言われ、手の釘跡と、脇腹の傷をお見せになりました。そして、「父がわたしを遣わしたように、わたしもあなた方を遣わす」と言われ、彼らに聖霊を吹きかけられ、どんな罪でも、あなた方が赦せば、その罪は赦される」と言われました。
イエスとトマス
トマスは彼らと一緒にいなかったので、「手の釘跡に指を入れ、脇腹の傷に手を入れなければ、復活のイエスを信じない」と言いました。その8日後、トマスのいる時にイエスは現れてくださり「信じない者ではなく信じる者になりなさい」「見ないで信じる者は幸いであると」と言われました。
本書の目的
本書が書かれた目的は、イエスは神の子キリスト(メシア、救い主)であると私達が信じることによって、永遠の命を得るためなのです。