ガラテヤの信徒への手紙4章 神の相続人とされた
「…いや、むしろ神に知られているのに、…。」ガラテヤ4:9
助産師永原のちょっと一言
3章の相続という言葉をうけて、当時の相続の方法を例にしてパウロは述べます。律法に従わないと救われないというなら、それは神の相続人とされた者から、奴隷の子どもに逆戻りすることになると語ったのです。
既に神は私たちに目をかけていてくださっています。私たちは自分が信仰を決断したと思いがちですが、その前に神が私を見出し、招いてくださったことを気付きたいです。私たちは「神に知られている」存在なのです。知ってもらっているという事はなんと嬉しいことでしょう。人知れず流した涙も、誰にも評価されないような、例えば子育ての苦労も、人に理解されない悔しさも、また叫び声を挙げたいような嬉しさも、全て知ってくださっている方がおられるのです。また、この世の生活を終えて、天国に行ったときに「あなたはだれですか。わたしはあなたのことを知りません」と言われるようなことは絶対にないと私は確信しています。
聖書要約
すなわち、未成年の間は父からの相続があっても、そのものは後見人などに託されて子どもはしもべ(奴隷)と同じ扱いを受けます。同様に私たちもキリストが来られるまでの律法の奴隷とされていました。やがてその律法の中にキリストが生まれてくださり、わたしたちを律法から解放してくださり、キリストが神を父と呼ぶように、私たちも神の国の相続者として神を「父」と呼ぶことができるようになったのです。
キリストがあなた方の内に形づくられるまで
あなた方はかつては、神を知らず、本当の神でない神々に仕えていました。今は本当の神を知っているのに、いや神にあなた方は知られているのに、なぜ逆戻りしようとするのですか。月や日などの定めを守って神を喜ばせようとしている皆さんがとても気がかりでしかたありません。以前、わたしがあなた方に福音を伝えたきっかけは、わたしが体を弱くしたことでした。人が不快に思うような病の中だったにも関わらず、私のことを本当によくしてくさり、私の言葉を受け入れてくださった、あの時の幸福はどこに行ってしまったのでしょう。一生懸命あなた方に取り入ろうとしている人たちは本当にあなた方のことを思っているのではありません。わたしはあなた方のことを子どものように思っています。だからあなたがたのキリストへの信仰がしっかりするまで、もう一度産みの苦しみを味わうとしているのです。
二人の女のたとえ
ユダヤ教の律法に従わないと救われないと思っているのでしたら、アブラハムから生まれた二人の子供のことを知りなさい。一人は女奴隷から生まれたイシュマエル、これはシナイ山を意味し、律法の子を表しています。一方自由の女サラから生まれた子はイサクですこれは神の約束の子です。イザヤの「喜べ、子を産まない不妊の女よ。…多くの子を産むから」という預言の中の不妊の女とはサラのことを指しています。私たちはユダヤ教の律法に縛られた奴隷の子ではなく、神の約束に基づく神に受けいれられる、自由な女の子どもなのです。約束の子どもイサクが奴隷の子であるイシュマエルにいじめられたように、聖霊によって生まれた信徒がユダヤの律法を守るように迫害されるのも頷けます。聖書には奴隷である妻とその子を追い出さと書かれています。あなた方は奴隷の子どもではないのです。