エペソ人への手紙2章 神の家族

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」エペソ人への手紙2:19

助産師永原のちょっと一言
パウロはキリストの体の統一性を説くために、クリスチャンの救いにまでさかのぼります。わたしたちは救われる前は霊的に死んだ状態でした。神から目を背け、気がつけば神が悲しまれるようなことばかりを好んでするような者でした。しかしそんなわたしたちが神のご支配の中に入れて頂くことができたのはただ神の恵みによるほかにありません。「神の家族」なんて優しい響きの言葉でしょう。世界中のクリスチャンも、また日本に散在する教会に属する人たちも、主にあって「家族」なのです。肌の色の違いや言葉の違い、考え方の違いはありますが、命に関する価値観が同じと言う事は色々な違いを超えて通じ合うことができます。世界人口の3分の1はクリスチャンです。外国人でも日本人でもクリスチャンどうし心を許せるのは、同じ主を見上げて生きているからではないかと思うのです。

聖書要約
から命へ
以前、私たちは罪のために滅びる存在でした。サタンの言うままに、欲望や悪意のおもむくままに、あらゆる悪事を重ねていました。神から怒りを受けて当然の者でした。しかし憐れみ深い神はその愛ゆえに滅びる運命にあった私たちをキリストの復活と共に生き返らせてくださり、天においてはキリスト共に席に着かせてくださったのです。それは神の恵みの素晴らしさ、壮大さが全世界に、全世代に示される為です。ではなぜ私たちにこのような恵が与えられ、救われたのでしょうか。それはただ神の憐れみ、恵のゆえであって、よい行いをしたからではないのです。救いが神からの贈り物であるなら、だれも誇る事はできません。なぜなら、私たちを造られたのは神であるし、キリストイエスによって新しい生活に入れてくださったのも神です。それは以前から神がご計画されていたことで、その救いの具現化として私たちがよい行いをして過ごすためです。
キリストにおいて一つとなる
私たちは、以前はイスラエル(選ばれた民)にも属さず、キリストの救いの契約にも漏れたもので、希望をもたず、神から遠いものでした。しかしキリストの十字架の血潮によって神に近い者になりました。キリストは平和の道です。ユダヤ人と異邦人をの間にあった壁を打ち壊して、(ユダヤ人を特別扱いし、異邦人をさげすむような)律法を無効にするために死んでくださったのです。両方の者がひとつになって聖なる神の家族になったのです。私たちは使徒と預言者を土台に、イエスキリストを最も重要な要としてたて上げられる教会です。あなた方はキリストによって組み合わされ、神の家の一部になるのです。