コロサイの信徒への手紙2章 実体はキリストにあり

「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。」コロサイ2:3

助産師永原のちょっと一言
私たちのどうすることもできない罪はイエスキリストが十字架に架かられ死なれたことによって赦されました。そしてイエスキリストが復活されたことによって新しい命を頂くことができるようになったのです。そのことをただ信じるだけでよいのです。これが私たちの信仰の中心です。この十字架に架かられ復活されたイエスキリストをとおして、私たちは神さまから遠い存在だったのが、神さまの懐の中で生きることができるようになったのです。懐に抱かれた子どものように、安心してなんでも願い求めることができます。神さまは私にとって一番良いものをもって、その祈りに応えてくださいます。苦行や自己卑下的な謙遜は自分を満足させるだけに過ぎません。キリストである頭にしっかりつながることで神に育てられて成長していきたいと思います。

聖書要約
わたしはコロサイの信徒のみならずラオディキアやまだ会っていない人たちの為にも苦闘しています。それはこれらの人たちの心が励まされ、愛によって結び合わされ、理解力が豊かに与えられてキリストを悟るようになるためなのです。「巧みな議論に惑わされないようにしなさい。キリストには素晴らしい知識と知恵がまだまだ隠されているのですから」と。
キリストに結ばれた生活
あなた方はキリストを受け入れたのですからキリストに結ばれて歩みなさい。キリストに結ばれ、キリストに深く根を下ろし、養分を吸収して成長し続けなさい。人間の思いつきや、むなしいだましごとの哲学にだまされてはいけません。キリストの内にこそ神の性質が全て宿っているからです。キリストと結び付くことによって神に満たされるのです。キリストは全てを超えた、権威ある支配者なのです。あなた方は肉体の割礼ではなく、霊的な割礼(バプテスマ)を受けたのです。バプテスマにより、罪は十字架と共に葬られ、キリストの復活を信じる信仰によって新しい命を与えられたのです。あなた方に差し出された罪の明細書は十字架上で無効となりました。罪を犯したと責め立ててくるサタンの力をくじかれ、キリストの勝利が公然と示されたのです。だから、食べ物、祭り、新月の儀式、安息日などの問題でとやかく言われる事はないのです。それらはキリストが来られる前にだけ有効なものだったのです。偽りの謙遜(人間は無価値なので直接神に近づくことができないので仲介的な諸霊の助けを借りなければならないとする考え)や天使礼拝を強制する者たちに批判されることはありません。キリストに結びついて神さまに育てていただきましょう。
日々新たにされて
戒律に縛られてはいけません。それは偽りの謙遜や苦行を伴っていていかにも優れたもののように思われますが、それらは人を高慢にさせるだけのものなのです。