Ⅰ テモテへの手紙1章 神の憐れみによって

「私は、私を強くしてくださる、私たちの主キリスト・イエスに感謝しています。」Ⅰテモテ1:12

くぅ~ママのちょっと一言
テモテへの手紙ⅠⅡとテトスへの手紙は牧会の手紙と言われています。このⅠテモテには3つの特色があります。①牧会者にあてて書かれてる②牧会場の実際的な問題が扱われている③教会を異端や誤った考えから守る、です。発信者はパウロです。テモテはパウロが第2回目の伝道旅行の際、ルステラを訪れた時に良い働きをしたことから伝道旅行に同伴するようになりました。テモテはユダヤ人の母、ギリシャ人の父の家庭に生まれ、祖母からの信仰を継承しています。(使徒言行録の記事より)
「信仰の面から言えば私の息子同様のテモテへ」と、テモテに特別の親愛を込めて語りかけています。
8節から11節には律法と福音について書かれていますが、律法は罪の意識を芽生えさせ、福音に向わせる為のものです。9節の後半の「律法は救われた者のために与えられているのではない」と書かれていますが、律法を守らなくてもよいということではなく、福音は律法の完成という理解の下で、イエスキリストの愛のフィルターを通して律法を自分の生活に当てはめるということなのです。
最後に書かれている、「ヒメナイとアレクサンドロスをサタンに引き渡した」という意味は、教会からの除名を意味するという説と、病気にかかるという意味という説があるようですが、いずれにしても罰する為ではなくキリストに立ち返らせるためであると書かれています。

聖書要約
挨拶
私たちの救い主である神と、希望であるイエス・キリストから遣わされたパウロからテモテへ
異なる教えについての警告
マケドニアを出発する時に頼んでいたように、あなたはエフェソに留まり、間違った教えに惑わされないようにエフェソの信徒達に命じなさい。彼らの勝手な作り話や伝説、また系図論争は神の救いのご計画を妨げるものなのです。間違った教えを広めている者たちは律法の教師としての名声を得るために下らない話で時間を潰しているのですが、律法の本質は少しも理解していません。律法は救われた私たちの為のものではなく、律法を守らない者たちのために与えられているものです。それは神を憎み、反抗心を抱くもの、父母に逆らい、人を殺したり、不道徳なことをする者、同性愛にふける者、子どもを誘拐する者、嘘をつく者、神の祝福を知らせる福音に背く者などに与えられているのです。かといって救われたクリスチャンにとって無意味なものではなく、律法は神の意思を正しく理解しそれを用いるにはよいものです。それは福音に反した教えではなく、一致した教えなのです。わたしは福音を伝える使者として任命されたのです。
神の哀れみに対する感謝
わたしを強くしてくださった方に感謝します。以前は神を冒涜していたようなわたしを神は救われたのだから。「キリスト イエスは罪人を救うために、この世に来られたという言葉は真実です。それはキリストの忍耐深さを示す為にわたしのような者が選ばれたのです。それによって、誰でも永遠のいのちを持つ希望が与えられたのです。どうか永遠の王であり、決して死ぬことのない、目には見えない、ただ一人の知恵に満ちた神に栄光と誉れがありますように。
わたしの子であるテモテよ、主のための戦いを立派に戦い抜きなさい。いつも良心に恥じない歩みをしなさい。神をないがしろにするようなものが信仰を失うのは当たり前です。ヒメナイとアレクサンドロスがその悪い見本です。サタンに引き渡さざるを得ませんでした。それは彼らをキリストに立ち返らせるためなのです