ヘブル人への手紙2章 キリストの謙卑と神の愛

「イエスは、自ら試みを受けて苦しまれたからこそ、試みられている者たちを助けることができるのです。」ヘブル人への手紙2:18

助産師永原のちょっと一言
御使いの仲介によって与えられた律法以上に、御子によって語られた福音をおろそかにしてはいけないとへブル人の著者は言います。律法と福音は相対するものではなく、どちらも神から人類に与えられた救いの約束です。しかし福音は律法を包括してしまうほどの威力があります。威力、それは愛の力です。福音は愛の世界です。神の愛、犠牲の愛の世界が福音の世界です。
イエス・キリストの謙卑はすべての人の救いのために神が示された愛のみ業に他なりません。
私のすべてを分かってくださり、悲しみのそばにいてくださり、助けてくださるイエスに全てをゆだねて、今日も歩みたいと思います。

聖書要約

大いなる救い
私たちは聞いた真理をしっかりと心に留めなければなりません。そうでないと、真理から離れて迷い子のようになってしまいます。御使いに託された律法であっても守らなければ罰せられるとすれば、御子に託された福音をおろそかにしては罰を逃れる事はできません。救いの言葉の真実はまず、最初に主が語られ、聞いた人が分かるように証明してくださいました。さらに神は多くのしるしや不思議な業を通して、聖霊が信じる者に与えてくださる能力によって、それぞれにわかるようにしてくださいました。
救いの創始者
私たちが語っている未来の世界は御使いが支配する世界ではありません。なぜならダビデが旧約聖書の詩篇の中でもそう言っています。「あなたが心に留められる人間とは何者なのか。、また、あなたが顧みられる人の子とは、何者なのか。…あなたは彼を天使たちよりも、わずかの間、低い者とされたが、栄光と栄誉の冠を授け、すべてのものをその足の下に従わされました。」と。この言葉の完全な現実はまだ見ていませんが、少しの間低い者とされたということは知っています。そして栄光と栄誉の冠を授けられたイエスを知っています。人類の救いのために全てのものを創られた方が、神を信じる者達を救うためにイエス様を苦しみにあわせ、人々を救いに導く完全な指導者とされたのです。
人を聖なるものとされた方も(イエス)聖なるものとされた者も(私たち)一つの源からでています。だから兄弟姉妹といいます。それは詩篇でも詠われています。「わたしは、あなたの名をわたしの兄弟に知らせ、集会の中であなたを賛美します」と。。血と肉である私たちは死ぬべき存在ですが、イエスが人としてお生まれになり、十字架の死を遂げられたことによって、死の権力者である悪の力に打ち勝ち、私たちを永遠の死から救ってくださったのです。人として苦しみにあわれた大祭司であるイエスは私たちの苦しみを分かってくださり、みごとに助けてくださるのです。