ヘブル人への手紙3章 わたしたちこそ神が住まわれる神の家

「そして、私たちが神の家です。もし確信と、希望による誇りを持ち続けさえすれば、そうなのです。」ヘブル3:6

助産師永原のちょっと一言
モーセ率いるイスラエルの民の失敗から、現代に生きる私たちが学ぶべきことが警告されています。神の家とは旧約聖書の時代では幕屋であり、神殿であり、神が住まわれるところと言う意味ですが、新約の時代に生きる私たちには、私たちが神の家なのです。すなわち私たちたちが主への信頼を最後まで失わなければ、私たちは神の家となれるのです。ですから、キリストが治められる神の家とは私たち自身といえます。そのことをモーセとイスラエルの民、そしてキリストと私たちを対比して語られています。
そして「今日と言う日に励ましあいなさい」「信仰を持ち続けるならキリストに連なる者となれる」と、詩篇95:7を通して信仰のあり方が書かれています。将来のことを考えなくてもいいのです。今日一日、主に信頼して、主とともに歩めばそれでいいのです。クリスチャンであるということは天国の市民権を頂いているということですから、天国に向って、神さまに心を向けて生きていきましょう。手を取り合い、励ましあいながら… 

イエスはモーセにまさる
神さまから天国の市民として選ばれているみなさん。どうか神の使者であり、大祭司であるイエスに目を止めてください。神の家で忠実に奉仕したモーセと、その神の家を忠実に納めるイエスキリストでは、当然イエスがモーセに勝ります。豪華な家より、家を建てた人が称賛されます。どんな家でも誰かが造るのですが、万物は神がお造りになったのです。モーセの果たした役割は神の家のしもべとして奉仕し、イエスを証することだったのです。キリストは御子として忠実に神の家を治められるのです。そのことに確信と希望に満ちた誇りを持ち続けるなら、私たちが神の家になることができ、そこに神が住んでくださるのです。
神の民の安息
聖霊(私たちの信仰を助けてくださる神の力)は私たちに次のように警告をします。きょう神の声を聞いたなら、イスラエルの民が40年間の荒野(出エジプト)で神に反抗したように、心をかたくなにしてはいけません。信仰から離れてはいけません。あなた方の間でだれ一人罪に惑わされて神から離れることがないように励まし合いなさい。今日という日が大事です。私たちが最初に神に信頼したように、最後まで神に忠実であれば、キリストにあるいっさいの祝福を受けることができます。詩篇にも書かれています「今日神の声を聞くなら、神に反抗したときのように、心をかたくなにしてはならない」と。40年間の荒野で終始、神に反抗し、罪を犯したイスラエルは神の怒りを招き、約束の地(安息の地)入る事はできなかったのです。これは不信仰だったせいであることを私たちは知っています。