ヘブル人への手紙6章 救いの確信

「その結果、怠け者とならずに、信仰と忍耐によって約束のものを受け継ぐ人たちに倣う者となることです。」ヘブル人への手紙6:12

助産師永原のちょっと一言
たとえば、神への信仰、手を置く儀式などのキリスト教の初歩的な教えから、一歩前進しなさいと著者は言います。それらは特にキリスト教的なものはなく、むしろユダヤ教の色合いも濃く、ユダヤ教に戻ってしまうことが危惧された為の言葉とのことです。
キーワードは「必ず救われるという希望を持ち続ける」ということです。どんなに状況が悪くても、落ち込まず忍耐することです。忍耐するというのはじーっと同じところに留まって我慢しているということではなく、どんな状況であっても希望を失わず前進することであると教えていただいたことがあります。政治の混乱、経済の低迷、考えられないような犯罪など、決して生きやすい世の中ではありませんが、そんな時代だからこそ、希望を見失わないように、また希望を語る者でありたい思います。

聖書要約
キリストの初歩の教えを卒業して、成熟を目指して進みましょう。たとえば、善行によって救われるいう間違った考えや、バプテスマや、聖霊を受けることや、復活や永遠の審判といった初歩的なことから、神が許してくださるなら前進しましょう。神からの良い知らせを聞き、恵と賜物を賜わるなど、福音の素晴らしさを知ったのに、神に背を向けたなら、もう一度主に立ち返ることはできません。それは主をもう一度十字架につけることになるからです。また、雨を吸い込んで潤った畑に、大豊作をもたらしたとしたら、神の祝福を受けますが、もし雑草を生えさせてしまったらその畑は焼かれてしまいます。
とは言え、皆さんはそのような人ばかりではありません。わたしはあなた方が救われる事を確信しています。あなた方が神さまのために熱心に愛の業に励んだことを神さまはお忘れにはなりません。信仰と忍耐をもって神の祝福の約束を受け継ぐものの模範となりなさい。
神の確かな約束
アブラハムへの神の約束を思い出しなさい。神より偉大な存在はないので、神はご自分の名にかけて、アブラハムを祝福することを誓われたのです。それをアブラハムが根気よく待ったことで約束のものを得ました。「神からの助け」を約束された人が、神さまがその計画を変更されるのではないかと、不安にならないように誓いによって保証されたのです。神の救いを求めて逃れてきた者は、確かな保証を頂いて、新たな勇気を頂くことが出来るのです。必ず救われるという希望は信頼できる不動の錨(いかり)のようなもので、至聖所の内におられる神と結び合わせるものです。キリストはすでに至聖所に内に入られ、メルキゼデクと同じような大祭司として私たちをとりなしてくださっています。