ヘブル人への手紙9章 恵みの座大胆に近づく

「キリストも、多くの人の罪を負うために一度ご自分を献げ、二度目には、罪を負うためではなく、ご自分を待ち望んでいる人々の救いのために現れてくださいます。」ヘブル人への手紙9:28

助産師永原のちょっと一言
モーセは神から告げられた言葉通り、幕屋を作ったのですが、その中には2つの部屋、聖所と至聖所がありました。その2つの部屋の間には幕があり、幕の奥が至聖所。ここには1年に度大祭司しか入る事はできませんでした。
2つの部屋を区切る幕が、真っ二つに裂かれた瞬間の出来事が福音書に書かれています。十字架上でキリストイエスがなくなった瞬間です。そのときからすべての人が至聖所に入り、神に直接祈ることができる新しい時代が始まったのです。しかもいけにえによって罪の赦しを請う必要がなく、イエスキリストの十字架の死と復活を信じる信仰だけで罪が赦されるのです。このよき知らせを福音といいます。至聖所にある神の箱のふたは「恵みの座」と呼ばれるのだそうですが、幕は取り除かれたのですから、この「恵みの座」に大胆に近づくことができるのです。背を向けず、主の方にしっかりと向き、心のうちのそのままを祈りたいと思います。

聖書要約
地上の聖所と天の聖所
最初の契約である律法には礼拝の規定があり、礼拝を守るために建てられた幕屋がありました。幕屋は聖所と至聖所に分かれており、聖所には金の燭台と清いパンを置く机があり、祭司が日々の礼拝のためにここに入ります。幕で仕切られた至聖所には金の香壇と純金で全面覆われた契約の箱(十戒が書かれた2枚の板、マナを入れた金のつぼ、芽を出したアロンの杖が入れられている)があり、ここには大祭司が年に一度自分と民の罪を清めるために、動物を屠った血を持って入ります。一般の人たちはここには絶対入れないのです。
幕屋は旧約(律法)の時代ということを表しています。供え物をしても心まで清められる事はなく、種々の規定を守ることが課せられていました。しかし、キリストはこれより格段優れた契約を司る大祭司としてこられました。天にある完全な幕屋に入り、動物の血でなく、ご自身の血をもって私たちの罪の贖いをして下さったのです。罪が全くない完全なお方が喜んで神に自身をささげ、私たちの罪のために死んでくださったのです。この新しい契約をキリストは私たちに与えて、永遠の命を受け継ぐ者としてくださったのです。遺言状がその人の死後から効力が発揮されるように、律法の約束も動物の命が絶たれ、その血によって初めて効力が発揮されます。血を流すことによって、罪が赦されるという契約が成り立つのです。言い換えれば、血を流すことなく、罪の赦しはあり得ないのです。
罪を贖う唯一のいけにえ
天上のものをかたどって作られた地上の幕屋では動物の血によって清められる必要がありましたが、天上の幕屋ははるかに優れたいけにえによって清められたのです。キリストはこの時代の終わりにたった一度の死によって、人類の罪を無効にするためにきてくださったのです。二度目に来られる時は(再臨)罪の問題は解決済みなので、熱心に再臨を待ち望んでいるクリスチャン達の完全なる救いを与える為にきてくださるのです。