ヤコブへの手紙1章 みことばを実践する

心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」ヤコブ1:21

助産師永原のちょっと一言
ヤコブの手紙以下、7つの手紙は公同の手紙といわれて、特定の教会や人に対して書かれたのではなく、クリスチャン全般に対して書かれた回状のようなもので、離散したユダヤ人のクリスチャンに当てて書かれています。著書についてですが、新約聖書にはヤコブと呼ばれた人が4人出てくるのだそうですが、イエスの弟のヤコブとする説が有力なのだそうです。ヤコブはエルサレム会議にも登場するほど、有力な立場にいたと思われますが、肩書きは抜きで、主のしもべからの手紙であると書かれています。
「信仰による義」を説くパウロに対してヤコブは「行いによる義」を説きます。それに対して、宗教改革者ルターは「わらの書簡」とこの書を批判しています。確かに福音は信じることで義と認められ恵の世界です。しかし信仰によって義と認められた者は、行いも当然伴ってくるはずです。行いが全く伴わない信仰は、恵を頂くばかりの一方通行になってしまいます。神は人を創造されたときに自由意志を与えられました。それは主をたたえ、主を讃美し、主の喜ばれることをすることを、強制ではなく、義務的にでもなく、喜びを持って、主の恵に対する応答として行動に表すことをを求められたからです。
そのようにヤコブの手紙を読んでいきたいと思います。

聖書要約
挨拶
神と主イエス・キリストの僕であるヤコブから国外にいるユダヤ人クリスチャンに御挨拶を申し上げます。
信仰と知恵
色々な困難にあったら喜びなさい。思い通りにならないことによって忍耐が養われます。忍耐する力がつけば完全で均衡のとれた信仰をもつ人となることが出来ます。神が何を願っておられるのかを知りたい人は、そのことを祈りなさい。疑わずに信仰をもって願い求めなさい。必ず応えてくださいます。
貧しい者と富んでいる者
クリスチャンで見下されている人は喜びなさい。主が高く評価してくださるから。富んでいる人は、この世の富は神にとって無価値であることを知ったことを喜びなさい。この世の富ははかなく過ぎ去って行くようなものだから。
試練と誘惑
試練に耐え忍ぶ者は幸いです。主から褒美の冠をいただけます。誘惑に負けて悪に走らない人は幸いです。誘惑に遭ったとき、神から誘惑されたなどといってはなりません。人は自分の欲望に引きずられて誘惑に陥ります。欲望は罪を生み、罪は死を生みます。全ての良いもの、完全なものは主から来るのです。神は変化もなく、曇りもなく常に輝いておられます。神は御心のままに、私達に、真理の言葉によって、新しい命を与えてくださり、神の家族の最初の子どもとして下さったのです。
神の言葉を聞いて実践する
「聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい」怒りは神から私達を遠ざけます。あらゆる悪を捨てて、「心に植えつけられた御言葉を受け入れなさい。御言葉は、あなた方の魂を救うことが出来ます」「御言葉を行う人になりなさい」御言葉を聞いて実行しない人はその御言葉すら忘れてしまいます。神の言葉を一心に見つめて守る人は聞いて行う人です。自分はクリスチャンだといいながら人の悪口を言う人の信仰は何の値打ちもありません。クリスチャンというものは、身寄りのない子どもたちや、収入のない未亡人の世話をする人です。このような人の魂こそが、この世にあっても悪に染まることなく、神に対して真実を尽くすことになるのです。