ペテロの手紙第一1章 キリストにある希望

あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。」ペテロの手紙第一1:8

助産師永原のちょっと一言
この手紙の著者も諸説あるようですが、おそらく12弟子の一人のペテロと考えてよいようです。もしかしたらペテロが指示し、それに沿って書いたものをペテロが認証したのかもしれないとのことです。執筆の年代はクリスチャンの迫害が激しくなったネロの時代(62~64年ごろ)とのこと。エルサレムを追われ、小アジアに離散したユダヤ人クリスチャンに対して書かれた手紙ですが、離散という言葉は難民という意味もあるのだそうです。私達はそのような寝食が脅かされるということはなく、その点、恵まれた環境にいます。しかしストレス社会にあって、心が病むこともあり、煩雑な人間関係の中で、生きることがむなしいと感じたり、病気に不安を覚えたりと、精神的には難民のような状況に陥ることもあります。そのような私達にまさしく語られた言葉ではないかと思うのです。迫害の中にあっても、神に信頼し、希望を持つように励ました手紙から、私たちも生きる希望を見出して、神様から与えられた命を精一杯有効に生きていきたいです。

聖書要約
挨拶
イエス・キリストの使徒ペテロから小アジアに離散し、仮住まいを強いられているクリスチャン達へ。あなたがたは父なる神からあらかじめ選ばれ、十字架の血潮によって聖なるものとされたのです。神の祝福があなたがたに益々豊かにありますように。
生き生きとした希望
子なるイエスを復活させられた神が、わたしたちを新たに生まれさせ、希望を与え、朽ちることのない「永遠の命」を継ぐ者としてくださいました。だから喜びなさい。今は試練に遭っているかもしれませんが、素晴らしい喜びが待っています。試練によって信仰が固く純粋になることは、まるで金が火によって不純物が取り除かれるのと似ています。そしてあなた方はキリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉で言い尽くせないすばらしい喜びに満ち溢れています。これは魂が救われているからです
かつて預言者たちにこの救いは知らされましたが、それが実際どのようなものであるかははっきりと知らされていませんでした。また十字架の苦難とその後の死者の中から復活されるという栄光について書き記すように命じられましたが、それがいつ起るかはわかりませんでした。しかしわたしたちは今全てが知らせれています。
聖なる生活をしよう
だから再びキリストが来られるのを待ち望みながら、悪から遠ざかり、神の子らしく聖なる生活をしなさい。あなたがたが「父なる神」と祈るお方は公平な方ですので、天に行くその日まで主を畏れて慎み深い生活をしなさい。私達の先祖伝来、滅び行く者でしたが、その私達を救うために、キリストは犠牲の血潮を流されました。これは世の始まりから神のご計画の中にあったことですが、今、あなたがたに祝福として与えられたのです。この神を信頼して間違いありません。あなた方の信仰と希望はこの神にかかっているのです。そしてキリストを信じたということは自己中心やねたみの心から解放され、だれでも真実に愛することができます。だからお互いに愛し合いなさい。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」これこそあなた方に与えられた福音です。