ペテロの手紙第一4章 苦しみに同行して下さる主イエス

「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。」ペテロの手紙第一4:8

助産師永原のちょっと一言
私達が受ける苦難について、私達が人生の中で出会う「苦しみ」が何であるのか、何の為に「苦しみ」があるのかが書かれています。私達は「苦しみ」には遭いたくないというのが本音です。しかし「苦しみ」のない人生を送る人はまずいません。いや「苦しみ」のない人生を歩む方が苦痛のような気もします。それは苦しみを「苦しみ」で終えるのではなく、「苦しみ」の中で人生の意味を見出すことによって、人生を深く味わい、私らしく彩られると確信するからです。そして聖書には私の「苦しみ」に同行してくださるイエスさまの姿がはっきりと描かれています。主の手に引かれて、主の栄光に向って、苦しみを忍耐して乗り越えていきたいと思います。

聖書要約
神の恵みの善い管理者
私よりも前にまずキリストが苦しまれたのです。私達も苦しむことで罪との関係を絶ち、御心にかなう生活をするよう細心の注意を払うようにしなさい。かつての罪の生活から離れることによって昔の仲間は驚くかもしれません。しかし偉大な裁判官である神の前に裁かれる日が必ず来ることを知らなければなりません。既に肉体が死んだ人たちについては、生前、福音が伝えられたことによって、霊的には神との関係で永遠にいきることになります。
終末(再臨)の時が近づいているので、真剣で、分別のある祈りの生活をしなさい。何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。また神さまからそれぞれに頂いた特別な才能を出し合って、協力し合って互いに仕えあいなさい。それは神が栄光をお受けになるためなのです。
キリスト者として苦しみを受ける
降りかかる試練にあわて怖気づかないで、むしろ喜びなさい。むしろキリストと苦しみを味わうことができ、やがてキリストの栄光の時にあなたも栄光に預かることができます。特にキリスト者として苦しみを受ける時はやがていただける大いなる栄光のゆえに喜びなさい。人殺しや泥棒、問題をおこしたり、問題に首をつっこんだりすることによって苦しみを受けるのは別です。そんな事はしてはなりません。クリスチャンとしての苦しむなら大丈夫です。裁きの日が近づいています。裁きはクリスチャンからから始まるのです。クリスチャンが裁かれるのなら、主を信じたことのない人が裁かれるのは当然です。ですから、今の苦しみが御心にかなうものであるなら、そのまま善を続けなさい。必ず、主はあなたを見捨てられる事はありません。