創世記45章 主がお遣わしになった

神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによって、あなたがたを生き延びさせるためだったのです。」創世記45:7

助産師永原のちょっと一言
ヨセフが身の上を明かすという事は、兄たちにとって過去の罪が暴かれることになります。しかしヨセフはすかさず、「悔やんだり、責め合ったりする必要はないと言います。それはこのときのために私を遣わされたのだから」と言います。「兄たちがヨセフを売った」ではなく「神がお遣わしになった」ことだったとヨセフは告白したのです。幼い時に愛してくれた父の元から離れ、苦労を味わってきたヨセフですが、神が常に共にいてくださった事実と、神から受けた大きな祝福の故に苦労も恵と言いあらわすことができたのでしょう。
苦労の只中にいる時にも、その「苦労」を「恵」と言えるほどの信仰が持つことは、なんと幸せなことかと思います。ところが不思議なことに、到底、「恵」などと思えないような「苦労」の中にも、神が介入して下さっていること(神が共にいてくださっていること)が、人や聖書や御言葉を通して示されることがあります。だからこの苦労は主の栄光のためのものであると、苦労の只中でも信じることができます。苦労に意味を見出すことこそが、苦労を乗り越える力になるのです

聖書要約
ヨセフ身を明かす
ユダの嘆願を聞き、ヨセフは我慢が出来なくなって、側近の者を下がらせて、兄弟たちに自分がヨセフである事を明かしました。またヨセフは兄たちに「私を売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はない。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです」と言いました。そしてまだ飢饉は5年も続くので、父も一緒にエジプトのゴシェンに移り住むように勧めます。エジプト王もそれを聞き、彼らに馬車や食料や晴れ着を与えました。ベニヤミンには特別銀や晴れ着が与えられました。父の為にもエジプトの最良の贈り物を積んだろば10頭、往復の道中に必要な物を積んだろばが10頭が贈られました。
ヨセフは兄たちに「途中で争わないで下さい」と念を押して送り出しました。父の元に帰った兄たちは、父ヤコブに事の次第を話しました。ヤコブは最初は気が遠くなり、信じられませんでしたが、馬車などを見せられ、ヨセフが生きていたことを喜び、そして元気を取り戻し、「エジプトに行こう」と言ったのです。