出エジプト記16章 天よりの恵みの食べ物「マナ」

「「これはがあなたがたに食物として下さったパンだ。」出エジプト16:15

くぅ~ママのちょっと一言
私は1993年にマナ助産院を開業しました。なぜ「マナ助産院」と名付けたのですか?とよく聞かれます。実は出エジプトのこの箇所からつけています。日々神の恵のマナによって生かされていることを確認し、明日の「マナ」は神が必ず備えてくださることを確信して生きています。生まれたばかりの赤ちゃんですが、上向きで横になっているママの胸に腹ばいで寝かせると、自分でおっぱいを見つけます。口を開けて一生懸命飲もうとする赤ちゃんに、「これはなにかしらね~」って、思わず話しかけます。マナの語源のマンナフーは「これは何?」という意味。おっぱいも神からの恵の食べ物そのものですからね。

聖書要約
マナ
イスラエルの民はエリムを出発してシナイの方向に旅をして、シンの荒野に着きました。エジプトを出発してちょうど1ヶ月が経った2月の15日の事でした。イスラエルの民はモーセとアロンに今度は食べ物の事で不平を言ったのです。神はそれに対して、夕方には鳥のうずらを、朝には甘いパン菓子のようなマナを与えられました。マナの意味は「これはなんだ?」という意味で、朝ごとに降ってきた神からの恵の食べ物なのです。毎朝ごとに1人につき1オメルが与えられました。多く取った者も、少なく取った者も、計ってみると、ちょうど必要な量だけありました。また明日の朝まで残しておいてはいけないと神から命じられていましたが、その言葉に反して翌朝まで残しておくと、それは虫がついて臭くなっていました。また週の7日目だけは違いました。前日の6日目にはいつもの倍の量のマナが与えられて、それを料理して取っておいても、虫もつかず、臭くもなりませんでした。7日目の安息には神を覚える日としてテントの中で過ごして、一切の作業を休むように神がされたのです。しかし7日目にもマナを探しに出た者がありますが、何も見つける事はで来ませんでした。
神はモーセに命じて、このマナを1オメルを壷に入れて神がエジプトから導き出してくださった記念として残しておくようにされました。それは荒野でどのような食物を与えてくださったかを後の時代の人々に伝える為です。このマナの入った壷は神の箱の前に置かれました。